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連載のテーマである伝統的な美意識とは少し異なりますが、日本には、「縁」という言葉があり、これは人と人の関係だけでなく、物事との繋がりにも使われる言葉で、とても東洋的な考え方の一つではないかと思います。

縁は縁起から

「縁」とは、仏教の言葉である「縁起(えんぎ)」に由来します。縁起とは、あらゆる物事には起因があり、繋がりがあるとする考え方です。日本人はもともと、集落での暮らし方を尊重し、個よりも集団を大切にしてきました。人々は支えあって暮らしているものであり、夫婦であれ、友人であれ、縁によって繋がっていると考えます。現代では、日本の住まいも変わり、個室が作られ、個が切り離されるようになりましたが、それでも人生観の奥底にあるものとして、「ご縁を大切に」という考え方を持つ日本人は少なくないのではと思います。

海外で暮らしていると、時にこの「縁」という言葉を丁寧に伝えたいと感じるときがあります。例えば、私は海外で日本工芸のギャラリーを運営していますが、一点物の作品も多く、それらとの出逢いはやはり縁であると思っています。欲しいときにいつでも買える大量生産品とは異なり、手仕事の作品は、欲しいときに買えるとは限らないものです。豊かになればなるほど、手に入れたいものが手に入らないとき、縁がなかったから仕方がないと考える人は少ないように思いますが、工芸品のようなものは、そうした所有欲を漠然と満たすものとは異なり、出逢った作品に縁を感じながら、ゆっくりと時間をかけて好きになっていくものなのです。

人生は縁の連続

例えば、生まれてくるときに親を選ぶことはできないと言われますが、逆に言えば、恋人や友人は自分で選ぶことができるという言い方にも聞こえます。しかし、恋人も、世界中の異性と会った上で特定の人を選ぶことはできませんし、友人も同じです。人生で出逢える人の数は限られていて、運命だと思って出逢った人も、時期や場所が異なれば、恋人や友人になることはなかったでしょう。もしも、恋人が誰かに紹介してもらった人だとすれば、その紹介者に出逢っていなければ、その恋人には出逢っていなかったことになります。

人生は、自分で道を切り開いてるようで、さまざまな縁の連続によって成り立っている。そう考えれば、今、周りにいる人たちも大切にしようと考えることができます。目の前にいる人とはあまり馬が合わなかったとしても、その人との出逢いによって、その次に出逢う人は、一生涯の友になるかもしれません。

縁と美意識

縁を重んじるということは、「連なり」を意識するということです。目の前の人の、そのまた先の人を想像することで、日々の人間関係だけでなく、物事の文脈や背景への関心も高まっていきます。

縁という言葉は、英語への直訳が存在せず、運命という言葉で表現されることがありますが、言葉の意味は大きく異なります。運命とは、物事があらかじめ決まったものとしてあることを言いますが、縁とは、あらゆるものが連なっていることを指します。特別な出逢いは、「それが運命だった」と感じることがあるかと思いますが、縁とは、それが特別であろうとなかろうと、それぞれの出逢いに意味を感じることであり、恋人や友人ではない、会社の同僚や地域の隣人のような人にこそ、「ご縁」という言葉で意味を感じることが大切なのです。

文:柴田裕介(HULS GALLERY)

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