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天職を見つけた日

マフラーを巻き付けながら下りエレベーターに乗り込んだ。
乗っていたのは、スーツ姿でキャリーバッグをもった男性。
なんとなく目が合うと、話しかけてきた。
「寒いですね」
コートのボタンをかけながら、私は答えた。
「ええ、本当に」
そして、言ってみた。
「あのー、お菓子いりませんか?」

この日私は、「青色申告会」に記帳指導を受けにきていた。
帰り際、ドアに向かう私に、担当税理士さんがデスクから声をかけてきた。
「ドアの前にあるお菓子、もっていってくださいね」
会員からの差し入れがあまりにも大量で消費しきれず、皆に配っているらしい。
たしかに、ドアの前に置かれた机にはレジ袋に入った何かがずらりとならんでいた。
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
調子よく答えて取り上げた袋は、予想以上にかさばっている。
中身は、「ロッテ カスタードケーキ9個入り」だった。
それも、2つ。

ひとり暮らしの中年に、カスタードケーキ18個。
賞味期限はともかく、血糖値的にいかがなものか。
なーんてことを考えながら、エレベーターに乗り込んだのだ。
そんなタイミングで話しかけてくれた人がいた。
私はとっさに「チャンス!」と思い、
お菓子をもらってくれないかどうか聞いてみたのだ。

もちろん、断られると思っていた。
私たちは幼稚園児の頃から、「知らない人にお菓子をもらってはいけません」と教えられているからだ。
「いや、外出するところなんで。ハハハ」とさわやかに答えながら、
「もしかして、ヘンな人?」という視線をチラリと送ってエレベーターから出ていく……。
そんな結末を予想していたのだ。
でも彼は、幼稚園で習ったことをきれいに忘れているらしい。
「え? いいんですか? ちょうど今日の午後、来客があるんですよ」と手を出したのだ。

ああ、ありがたい。
私が「ロッテ カスタードケーキ」を1袋渡し、「青色申告会」でいただいたばかりのものであることを伝えたとき、エレベーターが1階に着いた。
彼は「ありがとうございます。ちょっと事務所に戻ってお菓子をおいてきます!」と言いながら、再び上階へ上がっていった。

いい気分だ。
すべてが、収まるべきところに収まった。
まるで、アレだ。落語の『三方一両損』だ。

正直者の江戸っ子が3両入った財布を拾い、落とし主に届ける。
でも、落とし主も江戸っ子。
「落としたものは受け取れねえ」と突っぱねる。
意地の張り合いでケンカになり、お奉行さまに訴え出ることになる。
お裁きをしたのは、大岡越前。
差し出された3両に自分の財布から取り出した1両を加え、2人に2両ずつ渡す。
そして、その場をきれいにまとめるのだ。
「落とした者も拾った者も、3両手に入ってもよいところが2両になって1両の損。
自腹を切って1両出した私も1両の損。
全員が1両ずつ損をしたということで了見せい」。

いやでも、待てよ。
私の場合は、だれも損をしていない。
担当税理士さんは、余っているお菓子をさばけてハッピー。
エレベーターの男性は、来客のためのお茶菓子が手に入ってハッピー。
私も、血糖値の心配がなくなってハッピー。
「三方一両損」どころか、「三方一両得」だ。
私は、大岡越前の上を行くお裁きをしたのかもしれない。

最近、もしかして自分はライターに向いていないのでは?と
うっすら思いはじめたところだ。
「20年以上やってからって、遅すぎじゃね?」というツッコミはご遠慮願いたい。
これまで、はっきり言ってくれる人がいなかったので気づかなかったのだ。
「私、言いましたけど?」というご意見も受け入れかねる。
あなたの声は、おそらく小さすぎたのだ。
大切なことを伝えたいときは、おなかから声を出さなければダメだ。

今回のことで、私は気づくことができた。
私がするべき仕事は、ライターなんかじゃない。
私の天職は、お奉行様だったのだ。
ああ、どうして新卒でお奉行様にならなかったのだろう……。
いやでも、日本の終身雇用制度はかわりつつある。
今からだって遅くはない。

そんなわけで、どこかでお奉行様の求人を見かけたら、
ぜひ私にご一報ください。

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