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早春のビジネス

1カ月ほど前だろうか。
その日は一気に春めいて、空もスコンと青く晴れていた。
訪問先に行く前に30分ほど空き時間ができてしまったため、
私はEクセルシオールカフェに入った。
 
コーヒーを買って2階の席を確保し、
ちょっと仕事をしようかとノートを開いたとき、
冷たい風が吹き込んできた。
顔を上げると、紺のスーツにリュックを背負った若い男性が
ガラスの引き戸を開けて、テラス席へ出ていくところだった。
 
ひと足早い春気分で、テラスでお茶を飲んでもいい。
スーツにリュックを背負うファッションも、
最近はアリなのかもしれない。
でも……。
開けたドアは、閉めてもらえないだろうか。
春っぽくなったとはいえ、まだ風は冷たい。
年齢とともに代謝が低下していくため、
中年は寒さに弱い生きものなのだ。
 
彼は自分が出てきたドアを開け放したまま、
にぎやかにテラス席の椅子を移動させ始めた。
丸テーブルを囲むように5脚の椅子を並べ終えると、
テーブルの上にコートを残して、店内に戻ってきた。
 
ああ、やっと暖かくなる。
私は安心して、手元のノートに視線を戻した。
でも、ホッとするのは早すぎた。
 
彼は足早に歩きながら後ろ手で引き戸を閉めた。
が、残念ながら彼の動きには勢いがありすぎた。
いったん閉まったドアは、跳ね返って細く開いてしまったのだ。
 
おい、こらーーーーー!
全開のドアから吹きこんでくる風もいやだけれど、
スースー抜けてくるすきま風も気になるものだ。
私は心の中で紺スーツの彼を罵り、なじり、けなした。
今どき、若者をきつく叱ることはかなりリスキーだが、
そんなの知ったことか。
若者のガラスのハートはデリケートなのかもしれないが、
そこそこ使い込んだ中年の心臓だって、寒さにはもろいのだ。

すきま風の不快感に耐えかね、
ドアを閉めに行くべきかどうか迷い始めたとき、彼が戻ってきた。
今度は、取引先と思われる中年男性4人と一緒だ。
 
彼は閉まっていなかったことに気づく様子もなく、
再び勢いよくドアを開けると
先頭に立ってテラスに出て行った。
そしてそのままテーブルに向かい、真っ先に腰を下ろした。
彼より10歳は年上だろうと思われる男性が、
ていねいに、ぴったりとドアを閉めてくれた。
 
声は聞こえないけれど、
ガラス越しに5人グループの様子は見える。
紺スーツの彼は忙しげに書類を配ると、
せかせかと話しはじめた。

どうやら気づいていないようだ。
彼以外の4人はコートを脱がず、寒そうにしていることも。
風で書類があおられ、扱いにくそうにしていることも。
小さな丸テーブルが5人分の飲みものと
紺スーツのファイルでいっぱいになっているため、
自分の膝を下敷きがわりにして
メモをとっている人がいることも。
 
予想どおり、5人組は10分足らずで店内に移動してきた。
中年男性のひとりが、遠慮がちに鼻をかんだ。
紺スーツは、調子よく言った。
「あ、花粉症っすか?」
店内の全員が、同時に突っ込む声が聞こえた気がした。
「……寒いんだよ!」
 
紺スーツの彼はたぶん、
遅刻しそうなとき、立ち止まって連絡を入れるより
全力疾走することを選ぶタイプだ。
そして接待カラオケで誰も知らないアニメソングを熱唱し続けたり、
女性に笑顔で挨拶されただけで自分のことが好きなのだと勘違いしたり、
女性の上司に「シバ田さんイケてますよ。年のわりに」とか
言っちゃったりしていそうな気もする。
 
見ている分にはおもしろいけれど、
周りへの配慮があまりにも欠けている彼の振る舞いは、
ビジネスパーソンとしてどうか思う。
同時に、仕事している風を装いながらそんな彼を観察し、
コソコソとネタにするためのメモをとっている自分は、
人としてどうかと思う。

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