#117 上善は水の如し
東洋経済ONLINE
老子が説く「人の下に立て」が成功への道になる訳
道徳論ではないリアリズムに基づいた処世術
高橋健太郎さんの記事を紹介します。
『老子』の基本的な世界分析として、人と争って勝ち、人の上に立とうとする人間の身には、必ず周囲から恨み、憎しみ、妬み、嫉妬といったマイナス感情が集まり、その人間を亡ぼすというものがあります。だからこそ、『老子』は生き残り、物事を為すための基本戦略として、人と争わず、人の下に立つということを勧めます。これを「柔弱」といいます。そして、この「柔弱」戦略の内容をより具体的に説いたのが、有名な「上善は水の如し」で始まる第八章です
最上の善とは、水のようなものだ。水は万物に利益を与えながら争うことがなく、人々が嫌がる場所にいる。だから、「道」に近いのだ。(1)身を置くのは低いところがよく、(2)心はうかがい知られないのがよく、(3)人と交際するときは思いやりに従うのがよく、(4)人を動かす言葉は「信」に基づくものがよく、(5)政治は目の前の人民をよく治めるのがよく、(6)なす事は「道」に任せるのがよく、(7)動くのは時機をとらえるのがよい。そもそも争わない。だから、あやまちもない(※番号は筆者が追加)。
まず、前半の「水は万物に利益を与えながら争うことがなく、人々が嫌がる場所にいる」です。これは、まさしく、人と争わず、人の下に立つ「柔弱」戦略の基本的姿勢を説いたもの。『老子』謀略術を実践するものが、あえて人の下に身を置き、困っている人間を助けるために動く、その在り方を水にたとえたものです。
水はどんな器にもおさまる(柔軟)
水は皆に恵みを与える(恩恵)
水は時に勢いよく流れる(破壊)
水は高い所から低い所へ(謙虚)
水は止まれば濁る(流動)
私が水に抱くイメージである。
「上善は水の如し」
この言葉と出会い、水に対するイメージだけではなく、「生き方」そのものが変わった。
水のようにたくさんの人に恵みを与えながら、時には突破力で事にあたる。
そこに止まらず、動き続ける。
動き続けるからこそ美しい。
強く、優しく、しなやかに、動き続ける。
「水のように生きる」
意識して実践に移していきたい。
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