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僕が曲を書く為に一番必要な事(日記)

結論から書きますが、僕にとって曲を書く為に一番必要な事
それは「インプット」です。

作曲家になってからと言うもの、とにかく多くの依頼に応えようと
必死になって曲を書き続けていたのですが
ある時に自分でも衝撃的な出来事が起こりました。

仕事の依頼も含め、120曲以上書いた頃に出来た曲「X」
自分で作ったにも関わらず「どこかで聞いた事があるな」と
違和感を強く感じ、調べてみたところ
その曲は30曲ぐらい書いた時に出来た曲「Y」と酷似していました。

正確に言えば、コード進行・アレンジ・曲の展開など
「X」と「Y」はほぼ同じ…

もし「Y」が他の人が書いた曲だったとしたら、訴えられて絶対に負けると自覚できる程でした。

今となってはその理由が、自分の引き出しが圧倒的に足りていなかったのだと理解できますが、当時の私はこの出来事に
「何と自分は才能が無いのか…」とうなだれるばかりでした。

それまでの私は「フレーズやアレンジ、曲は無限に生み出せる!」などと
恥ずかしながら、おごりに満ち溢れていた気がします。

その出来事からはとにかくひたすらに、只々勉強と練習を重ね、足りない才能を補う事ばかりを考えていましたが、後々その考え方も間違っていた事に気付きます。

そもそも、今まで作る事が出来た
メロディ・コード・リズム・アレンジ・フレーズなどは

元々、私自身が思いついた全くのオリジナルではなく
今までに刺激を与えてくれた多くの曲からヒントを得て
それを自分なりに作り替えていたものばかり。

そんなの当たり前だろう、と言われてしまえばそれまでですが
そんな事実を受け入れるのが、私は怖かっただけかもしれません。

天才への劣等感

色々な事を、努力でしか身に付ける事が出来なかった私には自分の中から溢れ出る才能やセンスを持った天才たちへの劣等感が強くあったのだと思います。

既にあらゆるものが出尽くしてしまった現代で、もう純粋なオリジナルなど存在しないのかもしれませんが
「持たざる者」だと自覚していた私には、誰もが認める素晴らしい曲を作る「天才」たちへの憧れが、止められなかったのかもしれません。

その後、私は現在まで活動を続け、今はようやく制作曲が800曲を超えた所ですが、それまでどうしても受け入れられなかった
「天才たちへの劣等感」を、ある言葉で考え直す事が出来ました
それは…

「天才とは努力する凡才のことである」

かの有名なアインシュタインの言葉ですが、天才とは
私が勝手に思い描いていた「持つ者」ではなく
「たゆまぬ努力を続けてきた人」なのだと。

一概に全ての能力や才能に、この言葉が当てはまる訳ではありませんが、少なからず私は「持つ者」と「持たざる者」を分け隔て、勝手に比べてしまっていたのでしょう。

自身の努力の足りなさを「持たざる者」だからと、言い訳していたのかもしれません。

僕が曲を書く為に一番必要な事

才能溢れるクリエイターや、有名なアーティスト
天才と呼ばれる方々と関わりを持てば持つほど、彼らから教わる事があります。

何もせず、生み出せる訳ではない
何もせず、溢れてくる訳ではない

必要な努力を怠らず、常に新しい刺激を受け続け
嚙み砕き、消化して、
新しいものを生み出して行く。

アウトプットする為には
それと同じぐらいのインプットも必要

作り続けて行く為に
これからも沢山の刺激を受け
インプットし続けて行こうと思います。

最後までご覧頂きありがとうございました。
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シバっさんtwitter @shibassan_dtm

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