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実父から「お前は家政婦」と言われて掃除が出来なくなった話。


お久しぶりです🕊𓂃 𓈒𓏸◌
まっっったく更新してないし
いきない重すぎる内容!!!って感じだけど
夜だからナイーブになってるから書ける内容だよね。

題名の言葉を言われたのが15歳の夏の終わり。
もう10年以上経つのかと思うと
よく私生きてこれたな。主治医にも言われる。
この10年も何度も自殺未遂したし、何度も入退院を繰り返したけど、私は生きてる。

小学生の時までは掃除が比較的好きだった。
姉と母で協力して家中を綺麗にしてた。
面倒臭いと感じる時もあったけど褒められて達成感もあった。


中学2年の冬から出席日数がどんどん減っていって、中学3年の頃には教室に行ったことは片手で足りるくらいだった。
まあ、イジメって言えばイジメなのかな。
今となってはわからない、というか思い出せない。
ただ校門前になると冷や汗が止まらなくて吐き出してた。


ごめんね、私イジメられてるの。
やっと言葉にした時
「うちの子に限ってそんなことはない」と
毎日毎日「学校に行け」と言われてたっけ。
かなりうろ覚えだけど学校に行かなくていいっていわれたんだよね。条件付きで。

塾には行くこと
家の家事は全てやること
勉強は怠らないこと
本来学校で過ごす時間に娯楽は禁止

こんな感じだったかな。
あ、思い出した。保健室の先生に心療内科を勧められて「不安障害」って診断されたんだ。

学校に行かなくていいならと積極的に頑張った。
毎日洗濯物洗って干して、掃除をして、でも勉強は怠らなかった。というか当時は勉強とダイエットにハマっていたから苦ではなかった。
あ、ご飯は作らなかった。私の料理を父親は食べてくれたことが現在進行形でない。

何ヶ月か経ってこの生活にも慣れた頃、痩せすぎた私に「家事はそんなに頑張らなくていいんだよ」母が言った直後。この言葉は生涯私の心のセメントになってしまった。


「こいつは家政婦なんだから家のことやらせておけ」

15歳の私は「あ、私ここの家族として認めてもらえないんだ」と心の土台がぐちゃぐちゃになった。
そこから私は掃除と洗濯が出来なくなった。
しなくなったんじゃない。
できなくなった。
それをすると私は柴咲家の一員ではなくなってしまうから。
唯一料理ができるのはその時してなかったからだと思う。
ちなみに友達の家に泊まりに行った後は完璧に片付けてたし、一人暮らしをしていた時は並々に掃除も洗濯物もできていた。
実家にいると、もしくは身内がいると私は掃除ができなくなってしまう。

認めて欲しかった。
受け止めて欲しかった。
理解も共感もいらないから抱きしめて欲しかった。
ありがとうって言って欲しかった。
私の体を心配してほしかった。
私の心を心配してほしかった。
15歳、当時の私は自分を大人だと思った。
いや、大人でも子供でも通る無敵な存在かな。
無敵のくせに親からの「大人なんだから」
「子供なんだから」に振り回されてたっけ。
25歳の私からみた私は子供だ。
そんな子供はこんな想いを抱えてはいけない。


25歳の私は少しずつ少しずつ
セメントのでこぼこを修復している。


子供は大人たちが思ってるほど馬鹿じゃない。
全部わかってて子供のフリをしているんだよ。よく親なんだから子供を愛して当然って言うけど、圧倒的に親より子供の方が無条件で親を愛すからね。
どんだけ憎くても同族嫌悪に駆られても、世界で一番だれが嫌いか問われても私は父を愛してる。父が私を憎くても。

今回のサムネはクローバー
クローバーの花言葉は「私を思って」
そしてもうひとつの花言葉は「  」

END

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