私が幸せになれないのはなぜだ

私は幸せになったことがない。

今までの人生を振り返ってみて、「あの頃は幸せだったなあ」と思える時期がない。幼少期も、学生時代も、社会人になってからも、ずっと。

そしてずっと「幸せになりたい」と思い続け、それを追い求めて試行錯誤しながら生きてきた。

と、思っていた。


しかし、よくよく冷静に考えてみると

「幸せになる」って一体どういうことだろう?

何を手に入れれば、私は「幸せになった」と思えるんだろうか。

それがよく分からないまま、ただ目の前の仕事をこなし、ただ目の前で起きたことに反応し、日々を何となくこなして「いつかお金持ちになりたい」と漠然と思いながら生きてきただけだったような気がする。



40年くらい生きてきて、幸せについて分かってきたこと。

それは、どうやら「お金持ちになったら幸せになれる」というわけでもないようだということだ。

なぜなら、もしそうであるならば、私は24歳の新社会人だったときよりも増えた収入の分だけ幸せになっていなければならないからだ。

実際のところ、収入は倍になったが、幸せは倍になってはいない。倍になっていないどころか、お金によって増えた幸せがあったのかどうかさえよく分からない。

確かにあの頃よりも、高いものが買えるようになったし、住んでる家も良くなった。だけどそれは幸せとはあまり関係なかったような気がする。

結局、お金によって確実に得られるのは、「嫌な思いをする機会が減る」ことと、「優越感に浸れる」ことだけだ。

じゃあ一体幸せはどこにあるのか?

私は一体何を目指して生きていけばいいんだろうか。



素敵な人と家庭を築くことだろうか?

たまに親戚の家に行くと、「仕事もいいけど、あなたもそろそろ幸せを掴まなきゃね」というようなことを言われる。

その人は純粋に人間とは結婚してつがいになるのがあるべき姿で幸せなんだと思っているんだろうと思うし、それはあながち間違いでもないように思う。


でも、世の中「結婚をしている人」こそたくさんいれど、そのうち「幸せな結婚をしている人」はどのくらいいるんだろうか?

そもそも、「結婚したことによって幸せになった」、という人はいるんだろうか。幸せな結婚をしている人というのは、結婚する前から幸せな人だったんじゃなかろうか。

そうだとすると、結婚も直接的には幸せと関係ないような気がする。

結局、結婚して確実に得られるのは、「結婚していないよりは、世間から幸せそうに見られる」ということくらいな気がする。


じゃあ、自分が幸せになれる日がいつか来るとしたら、そのときに得ているものは何だろう?

そう考えたとき真っ先に思いついたのは、「充実した毎日」だった。

その時、お金はあるかもしれないし、ないかもしれない。恋人もいてもいなくてもどっちでもいいような気がする。

だけど、「自分の過ごしている日々に納得していて、自分に満足している」ことは、私が幸せを感じるための必須要件だと思う。

私が欲しいのは、自分の人生に対する充実感、満足感だ。


そうだとしたら。

私は漠然と「あーあ、宝くじが当たればなあ・・」とか言ってぼんやりと生きている場合ではない。

一日中、暇つぶしにSNSを覗いてはそこで起きていることを傍観して、自分の主義主張らしきことを呟いている場合でもない。

他人や世間の文句を言っているだけの人生にしたくはない。


幸せになりたいと本気で思うなら、ぼんやりとお金持ちになることを夢見ているのではなくて、私が「充実した1日」を過ごすにはどうしたらいいかを考えなきゃならない。

だって今までと同じ生活を送っていたら、幸せを感じることもできないままあっという間に年をとっていくということを、すでにここ数年経験して分かっているから。


そんなことを考えて、自分が幸せになるための方法について考えたことを書き記しておこうと思った。自分のために書いていこうと思うが、それを読んだ誰かが何かを考えるきっかけになったら、きっとさらに嬉しい。

最終回で「私はこうして幸せになりました!」と言えるその日までの記録、にこのnoteがなればいいなあと思う。

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