破壊神たる所以

またひとつ人間関係を終了させてしまった。
いや、一つにとどまらないな。中心人物から距離を置いたのだから、
その取り巻きの人々とも距離を取らざるを得ない。
結局一人に帰ってくる。ただいま、自分。お疲れ様。よく頑張ったじゃないか。褒めてつかわそう。

とはいえ、家族以外の誰かに対してあんな風に強く言ったことは初めてだった。それほど本気で向き合おうとしていた証拠だろう。今までの人間関係にはないものを生み出すことができた。

けれど「こいつとはやっていられない」と確信して言い放って飛び出してきた。
だってあまりにも散々な言い分だったし、酔って支離滅裂なことを言われて、私のやってきたすべてを否定されたように思えた。何を言っても話にならないし、彼の中の完璧を求められてしまった。
以前にも同じようなことで嫌な気分になったことは多々あったし、この先一緒に活動していこうという人に対する態度や行動には見えなかったし、理解に苦しむことばかりだったから。

出て行ったばかりのときはスッキリしていた。それなのに、寂しさとか、人間関係をまた続けられなかったという劣等感とか、これまでやってきた時間や思いを無駄にしてしまった後悔や喪失感とか、そういう自分の抱えるしようもなさに苛まれて結局思い出してしまう。

モヤモヤしながらも、何度考えてもやっぱり私は間違ったことは言っていなかったし、離れたことは正しかったと思える。それなのに、何度もモヤモヤしてため息が出る。これはたぶん、過去に別の誰かとうまくいかなかったときの記憶の断片を反芻しているに過ぎない。とても気持ち悪いが、悪癖は習慣のように繰り返してしまうものらしい。

けれど情緒不安定にまではならずに、こんな風に自分が今抱えている感覚を、冷静に分析が出来るようになったことは、私自身本当に成長したと感じる。ここ数年の意識の変化、体調の変化に伴って私は大分穏やかに生きられるようになった。自分だけではなく周りがあってこその変化だと思う。ありがたい話だ。

結局、どれだけ自分を殺せるかという部分で、人との関わり合いを豊かに出来るか否かは変わってくるんだろうな。……私は、殺しきれない。
それが、自分を大切にするという意味で健全に殺せているのなら、あるいは自己主張できているのならいいと思う。しかし私は自虐的になりすぎる。昔よりは随分と自虐は減ったはずだが、まだまだ不要な自虐は多い。

許せないんだよね。身勝手で傲慢な人間が。それを押しつけてくる人間が。そして誰かを卑下して自分を高い場所に留めておかなければ死んでしまうような卑怯な人間が。

けれど、他人を許せないというのは、同時に自分を許せないこととイコールでもあると思っている。確かに私は自分という人間を、受け入れることが出来ていないのだと思う。未だに責める姿勢が崩しきれない。

彼の中に見た、嘘つきで見栄っ張りな側面や、自信がなく怒りっぽいところ、自分勝手で我が儘なところは、もしかしてそっくりそのまま私自身の中にあるものなのかもしれない。

彼のことが大好きだった。しかし先日大嫌いも追加された。想いは裏腹というけれど、何についてもどちらか片方だけという風にはなかなか行かないのが常だよな。清々したくせに、寂しくて悲しいなんてね。

人間には同族嫌悪というものがある。そういった類の反応なのだろうか。
他人に見える不足は、自分の不足とも相似形になっている気がする。それに反応するということは。

相手の中に自分の汚い至らない部分を見なければ、そこに気づいて変化を厭わない姿勢でいなければ、成長はないのかもしれない。

様々な気づきや学びを与えてくれたことに感謝しよう。私は前へ進む。

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