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「神様時計」④

 使っている時計をみればその人の信仰がわかると言われたのはいつのことだったでしょう。信教の自由が保障されている国であっても一応気にする人もいたのです。
「あの人例のカルトだわ」
「ええっオカルト?」
「あの哲学者かな?」(なぜか刑事さんににらまれました) 
「デフィカルトですね」
「こんがらかると」
あるいは12月になると一斉にクリスチャンの時計が売れたり、ミッション系の学校を見学したり教会で挙式するときはそういう時計を身につけるのでした。
「ほらあの人無心論者だわ」
「えっ無神経?」
「無心やさん?」
 実のところこれは信者を獲得しようとするそれぞれの神様の戦略でありましたが、そろそろ腕時計自体あまり使わなくなっていたのです。さらに「悪魔時計」だの「閻魔時計」といったものを身につける者までありました。さらには、
「キミのそれ、珍しいね。何て時計?」
「親父の形見です。何でも省略する人でした。早い話がな親の小僧の神様時計です」。

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