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北条政村って何気に立ち回り上手いよな

オタ用垢で呟いたこのツイートの詳細をnoteにまとめます。

2022年に三谷幸喜脚本の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が発表され、喜びと恐怖が入り混じる、我が歴史TL。

私も上手く行けば、最終回付近で推しの見せ場があって、お茶の間が涙と嗚咽で満たされるとワクワクしている反面、もし解釈違いだったら爆発四散するなと恐怖に慄いている。

もし2年後、私が「アイエー!」と大爆発していたら、「ナムサン!」と冥福を祈って欲しい。

私は地雷を踏んだら素直に爆死するタイプのオタクなので、せめて自分のTwitterやnoteで断末魔を挙げるぐらいは許してほしい。

北条政村とは?

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さて、そんな期待に満ちた2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。主役はかの北条政子の弟にして2代目執権北条義時。

この記事で扱う北条政村は、義時の5男。

当時は一夫多妻制だったので、北条義時にも何人か妻がいます。

一人は御所の女房(幕府に務めるOL)「阿波局」。彼女との子が、執権職を継ぐ「北条泰時

もう一人が、同じく御所のOLで、頼朝様の乳母に連なる比企一族の娘「姫の前」

超美人で義時が一目ぼれし、熱心にラブレターを送ってたのだが、全て既読無視されてしまい、頼朝様が仲を取り持って結婚したという非モテエピソードがあります。

彼女との子が、代々北陸・九州の守護を務めた「名越流」の祖、「北条朝時

そして最後に結婚し、義時の最後を看取った「伊賀の方」。彼女との子が「北条政村」です。

長男北条泰時は1183年生まれ、次男の朝時は1193年、5男の政村は1205年に生まれました。

北条政村が誕生するまで

頼朝様の死は1999年。そこから私が「北条無双」と呼んでいる政権争いが勃発する。色々解釈はあると思うが、私個人の目からはこう見えるよって感じにざっと流れを紹介する。

頼朝の死の時点で、北条家の長は義時の父である北条時政。政村はまだ生まれていない。

2代目将軍となった頼家の後ろ盾だった梶原・比企が力をつける。

特に比企は頼朝の乳母・頼家の乳母を務め、娘が頼家と結婚していて、北条にとっては「将軍の外戚」という立場が危うくなる。

もし比企の娘の子が三代目将軍となれば、時政は将軍の祖父という立場を比企家の長、能員(よしかず)に奪われる。

さらに政子は将軍の母というママ友ボスの立場も、比企に奪われる。

そこで、比企氏を「謀反を起こした!」と煽って排除し、次に力をつけた梶原も、梶原氏に反感を持つ御家人たちと結託し排除し、北条の言うことを聞かない頼家も排除して、幼い将軍源実朝が誕生しました。

目の前の脅威を取り除いた時政は、北条に資本があまりない事に気が付きます。

そこで当時武蔵国を実質的に支配していた畠山氏を「謀反を起こした!」と排除しました。

けれど……その後、畠山の長、重忠さんはみんなの兄貴分的な存在だったし、さすがに謀反はでっちあげだったとバレたので、今度は時政が排除されましたとさ、ちゃんちゃん。

とまぁ、そんな昔話みたいなオチなのですが、この畠山重忠の乱が起こった日に生まれたのが、政村です。

その後も、和田合戦や実朝暗殺、承久の乱が勃発するのですが、政村はさほど関わってないので割愛します。

ママと伯母ちゃんの、ママ友ボス対決!!

さて、実朝さんが暗殺されて、新しく将軍として京都の公家の子を鎌倉に連れてきて、北条氏が育てる事になりました。

そして、力をつけた北条氏がウザい! と思った朝廷が、北条氏を攻めようとしたのが承久の乱ですが、この戦で朝廷に勝ってしまった北条氏の座は揺るがないものとなったのでした。

そんな中で義時は亡くなります。実質的な鎌倉幕府の支配者となる北条家の長は誰になるのか……!!

そこに、ようやく登場するのがこの記事の主役、政村くん!!!!

この事件も解釈が色々あるので、私が一票投じる説を紹介します。

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