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源実朝は13段目で殺された!?

当時の記録では、階段の下か上で殺されたと書かれていて、階段の途中で殺されたわけではないのですが、なぜかまことしやかに言われています。

私が小学校の頃は既に広まっていたのですが……一体いつから広まったんでしょうね。

13段目で殺されたという根拠となる文献はあるのか?

ここに一つの論文があります。

「鎌倉・ 鶴岡八幡宮の大銀杏 (隠れ銀杏)」 柴田松太郎

実朝暗殺の俗説の一つ実行犯の公暁が銀杏に隠れていたというのはいつ頃から出てきた説なのかを検証しているんですが、吾妻鏡・愚管抄などの当時の記録から始まって、1920年までの文献を洗いざらい調べています。

どうやらこれらには「13段目で殺された」という記述はないようです。

となると、1920年以降であろう事は想像にかたくありません。

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