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「東京都美術館 吉田博展」2021年3月16日の日記

・前々からわたしの目を引いていたポスターがあった。
・観る者を旅へ駆り立てんとする1枚のポスター。

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・東京都美術館で3/28まで開催されている、吉田博展。
・吉田博は福岡の久留米出身の西洋画家、版画家で、2020年に没後70年を迎えた。
・吉田博は芸達者で、水彩、油彩、そして木版画を描きこなした。本展ではそのいずれも鑑賞することができるが、特に木版画にフォーカスされている。


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・ポスターに1番大きく印刷されているこの作品は、版画の作品《劔山(つるぎさん)の朝》。
・劔山の書き方は、現在では「剣山」と書かれる。徳島県西部に位置し、日本百名山にも数えられている。
・吉田博は無類の登山好きで、こうした山を描いた作品、特に、山頂付近からながめた、実際に登山しなければ描けない構図の作品をよく描いた。


・紅とコバルト。わたしが吉田博の作品のなかで一番好きなのはこの2色の対比。山の山頂付近で迎える朝焼け。ご来光。そうした表現によくこの2色が使われる。
・吉田博のこの2色には、見た目の色の対比だけでなく、夜の終わりと朝の始まり。影の冷たさと陽の光の暖かさ。眠りと目覚め。静と動。温度に空気感、湿度まで。あらゆる自然の表情が対比されているように感じる。ぜひ会場で本物をご覧いただきたい。この《劔山の朝》は1階エリア後半で観ることができる。



・吉田博の作品を観ると、旅へ出たくなる。(いまのご時世ではかなわないが...)
・観る者を、旅へ駆り立てんとする。この魅力はどこからくるのか。作品の題材が世界各地の名所を描いたもの、ということももちろんある。けれどもそれ以上に、わたしは、吉田博が作品を「足で描き」、「五感で描き」、「計画で描いた」ことにあると考える。


・「足で描く」
・これは、国内はもちろん世界各地どんなところであれ、吉田博は自身の足を現地まで運び、精緻に観察して描き出したことを意味する。当時としてはかなり珍しく、吉田博は海外経験が非常に豊富だ。当時、美術界は黒田清輝をはじめとする「白馬会」が牛耳っており、美術家の留学先はもっぱらフランスであった。
・しかし吉田博はこの潮流に反発し、アメリカへ3度、さらにはインドに東南アジアと、世界各地を飛び回り、写生に文字どおり明け暮れた。
・特に、当時の他の風景画家と吉田博との評価を明確に分けた特徴は、《劔山の朝》に代表されるように、吉田博が生粋の登山家だったことにあると思う。
・山頂からの景色は、登頂者にしか描けない。いまから100年近く前の時代の話である。登山の難易度や危険性は今とは比べ物にならないほど高く、さらに画材を背負って登るのである。
・吉田博の風景画は、氏の強靱な足腰無しには完成しない。


・「五感で描く」
・先ほどの《劔山の朝》について書いたときに少し書いたが、吉田博の版画作品には、単なる色の違いだけで無く、温度、湿度、輝度、手触り、におい。自然が持つあらゆるパラメータが描ききられている。
・版画は、版木に色を塗り、紙に押しつける(摺る)ことで紙に色を付ける。この色を付ける摺りの回数が、江戸時代の版画においてはせいぜい10回程度であったという。しかし吉田博の版画では、平均30回以上。特に多い作品では100回近くも重ね摺りしたとのことだ。吉田博の作品に描かれたこの自然のもつパラメータは、吉田の優れた五感に加え、妥協の無い摺りにある。


・「計画で描く」
・世界各地を旅した吉田博。その旅の計画は極めて入念に立てられたという。これは勘だけど、登山の影響が強いのではないかな。作品には妥協を許さなかった吉田博だけど、登山にはかなり柔軟に対応したそうだ。必ず余裕を持った計画を立て、詳しい山案内人を雇い、忠告をよく聞き、案内人への気遣いも忘れない。そうした吉田博の「人となり」を表すキャプションも展示されていた。
・「計画で描く」。これが端的に現れたエピソードが、展示の第8章「印度と東南アジア」で語られる。
・吉田博がインドのアーグラにある、タージマハルに訪れた時のことである。吉田はここで、”タイミング良く”見事な12月の満月に出会い、理想の夜景のイメージを作品に落とし込んだ。
・この満月は、”偶然見られた”のではない。インドへ発つ前、吉田はアーグラで12月の満月が見られるよう、月齢を計算して旅の日程を組んでいた。
・当時は海を渡るだけで大冒険であったろうに、旅慣れしていたのもあったのだろうか、作品のために、吉田は綿密な計画を立てて旅を実行した。


・これだけ心血を注いだ作品、およそ200点が東京都美術館に集結している。旅へ足を伸ばしづらい昨今。東京都美術館では、何気ない街の風景から3000m近い山頂から見た風景まで、並外れた感性と才能で描かれた旅の記録を鑑賞することができる。


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