「カギカッコが顔代わり」2021年10月13日の日記
・今日は休みを取っている。
・久しぶりにどこにも出かける予定の無い休日なので、昨日の日記で今日は充実した休みにしたいと書いた。そしてまあ概ねそのとおりのんのんびよりした休みにできた。
・朝の10時から11時まで入ってる風呂が一番気持ち良いから。
・友達から勧められた本がKindle unlimitedにあったので、その本を途中まで読んで、溜まったnote日記を書いていた。そういうこの10月13日分の日記だってもう10日以上後になって書いているのだけどね。それはこの間の仕事がちょっと忙しくなってしまったから。許してください。
・「『《イイヨ!!!!!!!!!!》』」
・許されました。
・つい数日前の日記にも同じ流れを書いた気がする。日記上では数日の出来事だけれど、現実世界では10日以上もの時間が流れているから別にこの流れに味を占めているとかではないです。
・カギカッコの使い方で今思い出したのだけど、わたしは小学校高学年のころから中学生までの間にライトノベルに親しんでいて、そのきっかけは時雨沢恵一先生の「キノの旅」だった。
・で、何巻だったかは忘れたのだけど、もしかしたら本に書いてあったのでは無くて時雨沢先生のツイートだったのかもしれないけれど、時雨沢先生は作中の会話シーンが続くとき、しゃべっている人物によってカギカッコの種類を使い分けていると書いているのを読んだ。
・実際に作品を読み返してみると、確かに話している人物によって”「」”だったり”『』”だったりと使い分けられていて、ほえーーーとその表現の仕方になるほどと思った記憶がある。
・そういうわけでこの方法をわたしも真似させてもらって、わたしは今ツイートとか、日記とかで会話文を書くときには、話している人物によってカギカッコを使い分けている。
・まあ日記で会話文を書くことはわたしはあまりないので(その日の会話の言葉遣いまで覚えていないから)、SNSが主だけれど。
・文章を書くときのこういう視認性は、わたしは会社で資料を作るときや、最近更新が半年止まっているブログを書くときにも気をつけている。カギカッコに限らず。
・エンジニアあるあるなのか知らないけれど、システムエンジニアが設計書を書くとき、章をあらわす「1.」「2.」とか、「(1)」「(2)」、「(A)」「(B)」を書くときにインデントを意識する人は多いと思う。
・全部が全部同じ左寄せで書かれていると、いま読んでいるところがどこの章にかかっている話なのか分かりづらいから、インデントによって章の構成を表現する。
・インデントに気を遣うっていうのは説明する文章や資料、あるいはプログラムのソースコードに特化した話だと思う。ソースコードで言えばプログラミング言語のpython(パイソン)なんかはインデントを綺麗に揃えないとそもそもコンパイル(プログラムをコンピュータで使えるようにすること)が通らなかったりする。
・文通の手紙で話している内容によってインデントが意識された手書きの手紙が来たらこわすぎるものな。
・休みの日なのに仕事のことを書いてしまうなんて。おしまいだ。
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