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場面緘黙症の娘ちゃん②

三女ちゃん、小学校入学。既に小三の二女ちゃん、小五の長女ちゃんが居たためすっかり安心しきっていた私。毎朝の親子登園もなくなり、これからは三姉妹で登校、私は出勤前にゆっくりと朝ご飯を食べられる時間が出来たと喜んでいました。最初の一週間程度は午前中で一年生は終わり。笑顔で行って帰ってくる日が続きすっかり私は安心しきっていました。

入学してすぐの三姉妹登校の様子

入学後早々の五月の運動会では新しいお友達とはしゃいで楽しそうにしている三女ちゃんの様子も見られて更に安心しきっていました。

入学後間もない運動会での三女ちゃんの様子

ところが夏休み明けの二学期が始まった頃から行き渋りが始まってきました。同時に小学校で習い始めた学習の宿題が毎日出されるようになってきて、しんどいのか帰宅したら毎日のように眠っていたと思います。

宿題では本読み、書き取り、プリントが毎日出されましたが、本読みがいつも片言でスムーズに読める感じではありませんでした。書き取りではうまく書けない、と書いては消し、書いては消し、それに疲れてしくしくと泣き出してしまう様になりました。そのうち毎日のように宿題の度に泣くようになりました。それでも何とか休み休み、数時間かけてやり終え、そうしたらばもう寝る時間、そんな風になっていきました。
そして朝もなかなか起きられなくなりました。学校が始まってから十時間近く眠り、それでも朝は起きれなくなってきました。そして毎朝、起きると静かに涙を流し俯いて、朝ご飯を食べさせるのも大変となっていきました。

また、ある日から登校の際、長女が走って戻ってきて『三女ちゃんが動かなくなったからママ来て!』ということが増えていくようになりました。時には見守り隊の交通安全のおじさんから連絡を受けたりするようになり、長女二女やお友達の助けを借りて頑張ってみたものの、ついには私も一緒に登校に付き添うようになっていきました。

ひどい時には玄関先からもう泣いてしまう時もあった

段々と学校が近づくにつれ、足を引きずるようになりそのうちピタリと体が固まってしまい動けなくなることもあったし、『行きたくない』という意思表示で動かない日もありました。子供たちの朝の賑やかな声、突然走ってくる子、車のクラクション、そんな音にも敏感に反応し動けなくなるようになりました。

登校中動けなくなり通学路に座りこむ三女ちゃん

動けなくなり道端にしゃがみ込む三女ちゃんに私やお姉ちゃん達、お友達たちが立たせたり、ランドセルを持ってあげたり、押したり引いたり様々な方法で試しますが頑なに三女は動けずにいました。時には姉やお友達が先生を連れてきて手伝ってもらったり。今にして思えばこういった方法は余計に本人に苦痛を与えているだけとわかりますが、その時は私もお姉ちゃん達も学校に行かせようと必死でした。

教室まで行けずに廊下に座り込んでしまった娘。
1年生2学期11月頃

学校になんとか着いても昇降口で固まってしまい、靴の脱ぎ履きも出来なくなりました。三女ちゃんの顔に表情はなく、目の焦点は遠いところにあるのか私のことなど目にも入っていないような、マネキンの様で動きもなく、外部からの刺激を一切遮断してしまったような娘に、たまに私はぞっとする事もありました。教室に入りたがらず、昇降口や玄関に座り込んでしまうことは常でした。

始業のチャイムが鳴る中動けずにいる姿は毎日の様に。

担任やお友達が来てくれてなんとか教室へ入れるまで私は毎朝これと格闘していました。学校へ着いても他の先生方は挨拶をして通り過ぎるだけ。親がついてるし、むやみに手出しをしてはいけない、と思ったのか、担任に任せるべきと思ったのか、ただ忙しいからなのかわかりませんが、私はその頃とにかくどの先生でもいいから助けてほしかったです。廊下や昇降口に座り込んで動けなくなる、毎日泣いてしまう、担任が来るまで私はただただ娘をなだめてなんとか教室にいれようと必死な毎日でした。なぜなら私も仕事をしていたからです。娘がこういった状況となり、私も仕事に遅刻するか行けなくなる日々が続きました。

6年生の子たちが三女ちゃんのお世話をしてくれた時の様子。(2018.10.30)

ある日担任から、お母さんが良ければ一緒に教室まで入って頂き朝の支度をしたり、よければ三女ちゃんが落ち着くまで教室にいてもらって構わないのでそういった対処をしながらやっていけたら…..といった提案を受けました。先生もたくさんの子供たちを見なきゃならないし、三女ちゃんに手をかけてあげる時間もないことはわかりました。どうにもこうにも私も先生も困っていたので了解しましたが、却ってそれは私から離れられなくなるだけじゃないのか、という不安に繋がりました。そして実際に10日近くそれを行なってきたけれど、もはや先生は私に任せっきりとなるし(実際はそうでないのかもしれませんがあくまでも私の主観です)、私は仕事に行けないか遅刻する毎日に、何もしてくれない学校や何も変わらない状況に疲弊し、たまに様子を見に来てくれた補助の先生に不満なのか怒りなのかお願いなのかとにかく色んな気持ちを吐き出してしまいました。

なんとか教室に入って席についても動けずお友達が何かと心配して声掛けしてくれた

『先生に言われてこの10日間、一緒に教室も付き添って、仕事も行けなくなったりしながらやってきましたが、私がいることで却って娘は私だけを頼るようになるし、先生は他のこともあるから忙しそうで、私がいるからこそ私に任せきりにもなりますし、この提案は申し訳ないですが最善策だとは思えないです。私も仕事場の皆にも迷惑をかけてしまうし、何一つ解決されないことにしんどくなりました』確かこんな内容で伝えたと思います。早速その日の夜に担任から謝罪の電話と共に、よければ一度生活指導や生徒主任の先生も交えて解決策を話し合いたいから時間をつくってもらえるか、と言われました。

小学一年生、2学期の11月頃だったと思います。
そこからようやく少しずつ三女ちゃんへの最善策が見つかり始めるきっかけとなっていきました。

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