君以外全動説

 小学生の頃、隣の席の君がこっそり「世界は私を中心に回っているんだよ」と教えてくれてから、漠然とそうなのだと思って生きてきました。「私は魔法を使えるんだ」と言って、校舎裏で小鳥の死骸を燃やして見せてくれた時に、確信に変わりました。
 それから、天動説だの、地動説だのは全て瞞しだと思うようになりました。世界は君を中心にして、君以外全てが回っているんだと分かりました。僕が中学で虐められた時も、君は「大丈夫。私の言うことに従えばなんとかなる」と言ってくれましたね。結果的に、虐めは無くなりましたし、なんだかその頃の記憶も思い出せなくなりました。君が薄れさせてくれたんでしょう。君は魔法が使えて、この世界を作ったのです。僕はそう信じて疑いません。君へのこの気持ちは、恋だとか愛だとかそんな低俗な次元の言葉では言い表せないなと思いました。僕の胸に在る君への気持ちは、君が授けてくれたギフトなのだと思いました。
 高校を出て一緒に住もうと持ちかけられた時は嬉しくて涙が出る程でした。目が滑るほど長々とした書類に血判を押した時に、僕の人生は変わりました。君は僕の足に枷をつけ、これからは四つん這いで過ごすように言いました。僕がやや抗議めいたことを口走ってしまった時、君は四つん這いになった僕の顔を蹴り上げて言いました。
 「誓約書には全て明記してあるよ。ちゃんと読んで判押したよね?」
 僕は自慢ではありませんが頭が良くないので、長い文章は読めないのですが、それを知っているはずの君はきっと僕に罰を与えてくれたのでしょう。これからは長い文章も目を通すようにします。ですが、してしまったものは覆りません。これからは君の専属愛玩動物として生涯、人権を放棄して生きることになったらしいです。君のためなら何でもします。君はご飯もくれますし、睡眠も許してくれます。そしてたまに気持ちのいいことをしてくれます。詳細は教えてくれませんがそれをしてくれた日は僕も君も酷く疲れて僕の寝床で一緒に眠りについてしまいます。君は当然大学へ行ったり仕事をしたりで家を空けるのですが、帰ってきたあとは忙しく家事などをしています。僕はそんな君をたまに手伝いたいと思ってしまい、そのことを提案すると、洗っている途中のフォークを投げつけて君は怒りました。
「そんなことをさせるために飼ってるわけじゃないのに! 怪我でもしたらどうするの!」
 君は僕のことを本当に思ってくれているのだと思うと嬉しくなったと同時に、自分の愚かさにまたも辟易しました。悲しい気持ちになりながら肩に刺さったフォークを抜くと君は優しい顔で処置をしてくれました。それからいつものように体を洗って毛を剃ったあと、足枷を外して擦れて膿んだ傷跡を消毒して、ガーゼをしてくれました。こうしてくれている時は本当に愛されているのだなと感じます。
 ある日、君が帰ってこなくて、僕はとてもとてもお腹がすいてしまいました。どうにもならないので、足をガシャガシャと動かしました。枷がくるぶしやアキレス腱にごつごつ当たって痛かったですが、何かの拍子に邪魔なこれが外れてくれればいいのにと思っていました。僕は大変頭が悪いので、外れたあとのことは考えていませんでした。ただ、漠然と、邪魔なものが無くなればいいという気持ちだけでした。
 なんの偶然か、ベッドの柱がやや、摩耗していたのか、じゃらっと、音を立てて鎖が地面に落ちました。そのことに少ししてから気づいた僕は今までベッドに繋がっていたはずの鎖の先端を持って、部屋の中をうろつき始めました。
 久しぶりに部屋の外に出ようとしましたが、いつの間にか指の爪がなくなってしまっていたので、ドアを開けるのにも苦労しました。ぺたぺたと家の中を歩き回ります。でも、そういえば僕はこの家の中の構造をよく知りません。ここに来た最初の日に玄関からあの部屋までの動線までしか見たことがありません。冷蔵庫の場所すら僕は知りません。外に出ようか、とそう思いました。
 そう思った瞬間、ふと、昔のことを思い出しました。僕は一体どれだけの時間、ここにいたんでしょうか。愛玩動物として、飼われていたんでしょうか。
 外の世界が気になりました。君は長い間帰ってきていません。普段が9時間くらいだとすると、体感では2日くらいです。この部屋には時計がないことに気がつきました。それどころか、カレンダーすらも。今が何年何月何日か分かりません。そう思った途端に、興味というか、焦りのようなものなこみ上げてきました。僕は今何歳なんだ。外では何が起きてるんだ。一体何が……。歩きながら考えていると、玄関のドアの前にたどり着きました。簡素でそれでいて堅牢なドア。そしてそれを開けるためのドアノブ。これを少し捻れば───手を伸ばしたその瞬間。

「カチャ」

 ドアの、鍵が、開く音がしました。

「何、してるの?」
 君が帰ってきました。ドアの隙間から見えた空は黒く、それは夜でした。久しぶりの夜を惜しむ間もなくドアは閉じられました。僕の視界を埋めつくしたのは君でした。君の顔を見た途端、思い出しました。世界は君を中心にして、君以外全てが回っているんだと。
「これ、とれちゃって」
 僕は鎖の先をプラプラと揺らします。
「そうなんだ」
 君の目はまだ虚ろです。
「おしえなきゃって、おもって」
「一応聞くけど、逃げようとしたりしてないよね?」
 美しい圧を感じる君の表情に見とれながら僕は答えました。
「にげるって、どこに?」

 外ではまだパトカーのサイレンが聞こえます。この音が僕を探している音でないことを願います。

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