『未来の私/あたし』
「生きていれば、必ず良いことがあるから」
目の前にいる、今にも零れそうな程に目に涙を溜めている少女に、今日だけで3回目にもなる台詞を私は言う。すると少女はふるふると首を横に振る。その所為で目からは涙が零れ出る。
私はその少女を力強く抱きしめる。
理由は、いくらでも思いつく。でももしかしたら、その子の顔をもう見ていられなかったからなのかもしれない。
「ヤだよ……もうヤだ……。誰もあたしを助けてくれない。お母さんも、先生も、みなみちゃんも」
“みなみちゃん”。その名前に私の胸はズキリと痛む。私が今、抱いている少女の親友──いや、親友だった女の子の名前。
私はその子のことをよく知っている。
「もう苦しい……死んじゃいたい」
「ううん、ダメだよ」
女の子の肩をがっしりと掴んで言い聞かせるように伝える。
「あなたは死んじゃダメ。このまま頑張って生きていけば、今あなたをいじめている人達はどっか行っちゃうの。あなたが中学くらいの頃には。高校に上がったあなたはイケメンの彼氏ができて、それからず〜っと幸せに暮らせるの」
甘い言葉を囁く。こんなのはその場しのぎの嘘にしか聞こえないだろう。そのことは目の前の女の子ですらわかることだろう。でも、この子はそれに縋りたいほど、狂言であっても、妄言であっても、それに縋らなければ希望を胸に持てないほど辛いのだろう。
「だから、死ぬなんて言っちゃダメ。『未来から来た私』の言うことなんだから大丈夫」
そう。私は『ある目的』のために未来から来た。今にも挫けそうな、この目の前の少女を救うこと。支えること。それが絶対条件なのだ。あの地獄の日々が、起こらないようにするための。
「だから、ね? こんなの使っちゃダメだよ?」
そう言って私は少女の手に握られたきつく固結になったヒモに手をかける
「あっ……」
抵抗する様子もなく、少女はただ、力なく声を上げた。するり、と少女の握った手からヒモが抜け落ち、私のものになる。
「こんなのは……えいっ、えいっ、えいっ!」
私はスクールバッグから取り出したナイフで、その紐を切った。ヒモを束ねて、2度、3度、切ってやると、それは最早紐としての役割を果たせないゴミになった。
「ねっ?私がこの紐も辛い運命も全部切っちゃったから、これで『私』は大丈夫」
そう言ってニコッと微笑んで見せると、少女は堰を切ったように泣き出してしまう。私はそんな少女の手を優しく握って言った。
「もう大丈夫だよ。それでももし、辛いことがあったら──」
私は小さな少女の手を中に持ってきたナイフを握らせた。
「今日みたいに、このナイフが助けてくれるよ。だから、これはお守りとしてあなたにあげる。このナイフで、あなたはあなたの未来を『切り開いて』ね」
大粒の涙をこぼしながら、少女はこくこくと頷いた。頭の動きにつられて、さらさらと少女の栗色の髪がなびいている。私もそれを見て髪の毛、少女と同じ栗色の髪を触る。酷くパサついていて、目の前の少女のものとは質もツヤもまるで違う。
「もう大丈夫? 1人でもちゃんと生きていける?」
少しの間、少女の頭を撫で、落ち着かせた後、念押しのように私は聞いた。
「……帰っちゃうの?」
少し不安そうな顔で少女が私を見る。
「うん。そろそろ私も帰らなきゃ」
時間制限付きの時間旅行は不便だ。技術の進歩に期待するしかない。
「そっか、うん、頑張る。あたし、頑張って生きる」
「よかった……」
少女の言葉を聞いた私は安堵のため息と共に、タイムマシーンのスイッチを押した。
キラキラと光の粒が私を包んだ。
「バイバイ! 未来のあたし!」
光がマシンを包みきり、タイムとラレベルの準備が完了したことを知らせるランプが光る。出発のボタンを押した途端にそう言った少女の言葉に、私は答えられなかった。
○
とてもかなしかった、とてもくるしかった。昨日まで同じクラスの友だちだった人が、あたしをくるしめた。あたしはこのかみが自まんだった。かおも知らないお父さんにもらったこのかみは、あたしだけのものだった。
「オマエのそのかみ、ほんっとキモいから」
クラスの中心てきな女の子、京子ちゃんがそういった。きゅうなことでとてもびっくりしたけど。
それからだった、あたしがいじめられたのは。
あとからきいた話だと、となりのクラスにいる男子があたしのことを好きらしい。でも京子ちゃんはその女の子のことがずっと好きらしくて……。
知らないよ! そんなこと! あたしはその人と1回も話したことないし!
だけど、あたしのそんな言い分はだれの耳にもとどくことはなかった。
もうげんかいだった。死にたかった。きえてなくなりたかった。だからもう死んじゃおうと思ってあたしは自サツ用のヒモを用いした。
そんな時だった。
『未来から来たあたし』があらわれたのは。
まどから入ってくる夕日があたしと同じ、くり色のかみをキラキラと反しゃして、とてもキレイだった。
未来のあたしはあたしの話をたくさんうなずきながら聞いてくれて、さっきみたいに自サツのためのヒモをバッサリと切っちゃった。
そして、そのナイフをお守りとしたあたしにくれた。
このナイフがあれば、私は生きていける気がした。
それにしても、イケメンカレシかぁ、どんな人なんだろう。
だけど、いじめは終わらなかった。それから毎日、あたしはいじめられて帰ってきてはお守りをにぎりしめた。
毎日、毎日、毎日……。
おかしい、あたしは中学生になったけど、虐めはなくならない。てっきりあたしは虐めっ子の人達がどっかに行っちゃうっていうから、転校でもするのかなって思ってたけど……。未来のあたしは嘘吐いてたのかな……?
「助けてよ……」
そう言いながらお守りを握りしめた。
未来のあたしの言葉がフラッシュバックする。
「このナイフで、あなたはあなたの未来を『切り開いて』ね」
そこで、ある一つの考えが頭に浮かぶ。
まるで悪魔みたいな考えだったけど、そうだとすると全て納得がいく気がした。むしろそのためにあの日のあたしは……。
あたしは次の日、大事なお守りを持って学校に向かった。不思議と気分は軽かった。
今日は何があっても大丈夫。このお守りが助けてくれるから。あたしの未来はあたしが切り開くから。
○
ちがたくさんでた。あたしはあたしのみらいをまもった。みんなあたしをみてる。きょうこちゃんも。そんなかおしないでよ。もっとひどいことたくさんしてきたじゃん。いまさらひがいしゃづらしないでよ。
これでまえみたいにみなみちゃんもなかよくしてくれるよね? そういえば、くらすはなれてからはなしてないなあ。おとながたくさんきてる。だいじょうぶ。おまもりがあればわたしはこわくない。
○
過去から帰ると雪崩のように私の頭の中に情報が入ってきた。
「変わったんだ……」
私の──新しい記憶によると、あの後少女はいじめに耐えかねて、中学の頃いじめの主犯格を腕をお守りにしていたというナイフで切りつけたようだ。ニュースで見た情報と、クラスの担任の話からそんな事の顛末を知った。そのあとも何人か怪我をしたらしい。それからどうなったかは分からない。いじめてたやつも、『いじめられてたやつ』も。
私の中からずっと少しずつ消えていく古い記憶。
腕に残っているはずの火傷跡も、太ももの打撲痕も、少しずつ消えていく。右手の視力は回復している気もする。私が口角が上がるのを必死にこらえて、栗色のウィッグをカバンの中にしまい込んだ。
「何してんの〜! みなみ〜!』
同級生の声に『私』は振り向く。
「ううん! なんでもない!」
そういって、下校途中の同級生の元へと駆け寄った。
そう、私はみなみ。あの少女のたった1人の友達で、本来なら、あの少女が自殺を図り、それが失敗して転校していった後に、次なるいじめのターゲットとして地獄のような日々を送った『被害者』だ。
あいつが死のうとしたせいで、私は地獄を見た。
この復讐のために私はたくさんの時間をかけた。寝る間も惜しんで策を練って、色んな闇サイトにも手を出した。そうやって手に入れたのが1度きりの時間旅行器。このために私の体は沢山汚れた。それでも、全部なかったことになると思えば苦ではなかった。
かくして、私は自分の手を汚さずに復讐を成し遂げましたとさ。
これでぜ〜んぶ、おわり。
「あっはは」
かわいた笑い声が夕方の通学路に響いた。
この作品は、2022/04/19にpixivへ投稿したものを加筆、修正したものです。
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