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遠慮するのもほどほどに

家のリフォームをするのに大工さんの車を停めるスペースがなくて、近所の貸駐車場を探してみたけど空きがなく、お隣さんが日中出かけている間の空いている車庫を借りられないかダメ元で聞いてみました。

普段から感じの良いご主人でしたが、なんと快く承諾してくださったのです。
前の道路が狭く路駐もできなかったので本当に助かりました。

駐車場を借りるだけでも毎月分の賃料+2ヶ月分くらいはかかるので、お茶菓子では申し訳ないと思い、ゲンナマもなんだから商品券を御礼に渡そうと改めて挨拶に伺いました。

またニコニコとご主人が出てきてくださって、商品券を入れた封筒を差し出したところ、「お互いさまだから」と言って頑として受け取ってくださらないんです。
「駐車場を借りたらこれでは済まないですから」と改めて差し出すも
「いやいや本当にいいから」
「こちらこそ申し訳ないので」
こんな感じで押し問答みたくなってしまい、結局受け取ってもらえず引き返すことに。

なんとも言えない気まずさが残ってしまいましたが、リフォームが終わったら又御礼に行くことにしました。

封筒だったのが、かえって重荷に感じてしまったのだろうか?
本当にただ遠慮深い人なのか?
差し出したものを引っ込めるっていうのも後味の悪いもんだなぁと感じました。
近所同士だから貸し借りはつくりたくなかったのでしょうか。

若い頃自分がそうだったことを思い出しました。

自分の親が人とこんなやりとりをしているのを子供ながらに見ていて、遠慮深いのが良いんだなと思い込んでしまいました。
昔は、うちの親も受け取り上手ではなかったような気がします。

そして社会人に成り立ての頃、上司から
「〇〇さんは本当に遠慮深いんだね」と言われて
それが良い意味で言ったのか、本当は受け取ることも大事だよ的なニュアンスだったのか、今になってわかったような気がします。

私は遠慮するのが美徳とずーっと思って生きてきました。
お金に対しても「汗水流して稼ぐもの」と思い込んでいたので、汗水流さないと入ってこない状況を自ら招いていたわけです。

そして見えない世界を知っていく中で、受け取ることも与えることと同じくらい大事なことと知りました。

自分がどうしたら豊かになれるかは、どうしたらという設定はそもそも必要ありません。
私たちは元々豊かなんです。
どこからでも豊かさは入ってきていいのに、自分で理由をつくってわざわざブロックしちゃっているんです。

この世は、その人の思いや信念に忠実に応えてくれちゃうんです。
これが宇宙の法則なんです。
悲しいけど、人が良ければ豊かになれるとは限らないんですね。

くれるものは有り難くいただくと
あげる喜びを知ることができますね。

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