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自分の中の「カミサマ」に出会った話

お久しぶりです。
久しぶりの、noteです。

子どもの頃から、「カミサマは心の中にいる」と教えられて育ちました。
まぁ、「カミサマ」っていうのは、かみさまであり、ほとけさまであり、大事なものと思ってもらえたらいいかなと思ってます。
特定の宗教を信じているわけではないけど、「何か」に守られている感覚は常にあって。
なんとなくだけど、その存在は感じて生きてきました。

私が進んでいるピラティスの道。
ピラティスは動く瞑想とも言われます。
今までは、「まぁ集中もするし、そうなんだろうな。」って感じでした。
そうね、今から2ヶ月ほど前までは。

だけど2ヶ月前、ピラティスのムーブメントチェックの際、その瞬間はやってきたのです。

Teaser 1.2.3。
これまでにない集中をしました。
身体の奥の奥の奥の奥。
背骨の中の中の中の中。
その小さな点が見つかった時、例えたら、自分の中にマトリョーシカの一番小さい大きさくらいの「なにか」に出会いました。
横に居る仲間の2人も見えてないけど、見えていて、遠くに見えるプライベートレッスンをしている人たちも見えていて。
目で見てるのか、頭で見ているのか。
自分の輪郭はなく、ただそのマトリョーシカのような一番小さな存在からエネルギーが外側に溢れている感覚に出会いました。

その瞬間、私は「わぁ!カミサマここにいたんだ✨✨✨✨✨」と思いました。
何故かは分からないけれど、思ったんです。

それから、私はただ「それ」だけで「十分だな」と思いました。
思えました。

私がこの先、何かという存在になろうとなれなかろうと、自分の中のカミサマと出会い、その存在を自分自身が実感できた。
ただそれだけで「十分だな」と思えました。

だから最近、私にとってピラティスとは「自分の中のカミサマと出会うもの」だと思っています。

自分の中の「その存在」を大切にすることが、自分自身を大切にすること。
人の中の「その存在」も大切にすることが、他人を大切にすること。

この気付きはきっと、生きていく助けにもなると思っています。

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