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#11 手のひらを太陽に☀️しあわせとウェルビーイング

「手のひらを太陽に、すかしてみれば……」っていう歌詞がありました。今日の対話では、メンバー二人がオンラインでお互いに手のひらを見ながら話をしました。最近日本でもよく聞くようになった概念、「ウェルビーイング」。日本語に訳さずにカタカナで書かれることの多いこの概念、どのようなもので、「しあわせ」とはどう異なるのでしょうか?
 メンバー2人が実際に対話した記録を記事として毎週水曜日に投稿、導入部分は2人によるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨


〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜

ウェルビーイングの定義


今日の対話に向けて、ウェルビーイングの定義を少し調べてみたんですけど、違った定義がいろいろありますね。言葉そのものは世界保健機関(WHO)が設立された1946年に生まれていて、3つの要素が含まれています。
 「肉体的」「精神的」「社会的」に満たされた状態であるという意味ですね。言い換えれば、医学的に健康であり、自己や他者との関係が良好であり、かつ経済的にも政治的にも安定している、ということになりますね。

僕もまずはその理解から出発するのがいいように思います。実際にはそれ以外にも、PERMAモデルと呼ばれる5要素でウェルビーイングを捉える考え方もかなりよく用いられていますね。「ポジティブな感情」「何かへの没入」「人との良い関係」「人生の意義や目的」「達成」の5つです。
 でもこの5つは、WHOモデルでいうところの「精神的ウェルビーイング」の中身を開いたような内容になっていますね。実際には経済的安定や戦争状態にないことはウェルビーイングの重要な要素ですが、PERMAモデルにはそれらの要素は含まれていません。

これまで話に出たWHOの3要素モデルと、5要素のPERMAモデルは以下のサイトに分かりやすい解説がありますね。

8要素に分けるモデルの解説もありました。こちらは、WHOの3要素モデルの内容を詳しく細分類したような感じですね。いろいろ見ると、やはり原点に戻ってWHOの3要素モデルで考えるのが分かりやすいのではないかと思います。

手のひらを太陽に☀️ウェルビーイングの「手のひらモデル」


「ウェルビーイング」と「しあわせ」の関係を考える時に、少し思いついた例えがあります。「手のひらモデル」です。美織さん、少し手のひらを出してみてください。何か気づきませんか?手には大きく二つの部分がありますね?

手のひらの部分と、指の部分ですか?これがウェルビーイングやしあわせと何か関係があるんですか?

僕は、指までを含めた手全体が「しあわせ」、手のひらの部分が「ウェルビーイング」ではないかと思うんです。美織さん、しあわせって、人によって違うと思いますか、それとも同じだと思いますか?

やはり、人によって違うと思います。透さんは以前、一番しあわせなのは楽器を触っている時間だと話していましたよね。私は本を読んでいる時、とてもしあわせなので、やはり違いますよね。

では次の質問ですが、しあわせって、人によって「全く」違いますか?それとも、共通部分と違う部分があるっていう感じですか?

確かに、WHOの3要素モデルに入っている要素、医学的な健康や、精神的に良好な関係を維持すること、経済的・政治的に安定していることは、全員に必要なものですね。病気だったり、精神的なサポートが不十分だったり、食べていくお金がなかったり、あるいは戦争状態にある国に住んでいたりすれば、それは個人のしあわせ以前の問題ですもんね。
 ひょっとして、透さんのいう「手のひらモデル」って、手のひらの部分がすべての指につながる共通部分としての「ウェルビーイング」で、一本一本の指が、人によって異なる「それぞれのしあわせ」を意味しているということですか?

さすが美織さん! その通りです。人によってかなり異なる「しあわせ」が存在できるのは、手の例えだと手のひらがあるからだと考えてみます。つまりウェルビーイングがちゃんとしているから、その上に個性としての「一人一人のしあわせ」がつながっているのではないかと思います。以前、フィンランドにお住まいだった小久保茉央さんをゲストにお迎えした時には、「しあわせのケーキモデル」という話が出ましたが、発想としては同じですね。

あの時の「しあわせのケーキモデル」に今回の話を当てはめると、ケーキのスポンジの部分がウェルビーイング、クリームやサンタクロースの飾りの部分が一人一人の個性、というわけですね。

しあわせとウェルビーイングが違う点


でも同時に、しあわせとウェルビーイングが違う点も確認しておきたいですね。美織さん、たとえば病気を患っているとして、病気だと決して「しあわせ」にはなれないと言えますか?

ん〜、難しいですが、不治の病を抱えていて余命が分かっているような状態でも、充実した人生を歩んで、しあわせだと感じている人はいると思います。そういった方が著書やメディアで発信なさっていることもありますよね。病気だからといってしあわせになれないと決めつけてしまうことは、人生の喜びや価値を下げてしまうことに繋がりかねないと思います。その点では「手のひらモデル」は完全ではないですね。

そうですね。全員にとって必要なものであると同時に、それが多少欠けていても「しあわせ」は存在しうる概念ですね。どちらかというと、ウェルビーイングは比較的客観的に捉えられるのに対して、しあわせは主観的要素が強くて、全く同じ状態でも、人によってしあわせと感じるかそうではないと感じるかが分かれる可能性がありそうですね。

しあわせ、Happiness、Lykke


ウェルビーイングから少し話題がそれますが、日本語の「しあわせ」は、英語では通常 happiness、デンマーク語では lykke と訳されます。でも、日本人、英語圏の人たち、デンマーク人がこれらの言葉で差しているものは、実は全部違うんじゃないかって思うようになりました。
 言語はそれぞれの国の文化に密接に関わっているものなので、単純な翻訳だけではニュアンスの違いを知ることが難しいですよね。「しあわせ」と訳されるデンマーク語の lykke と、「心地よさ」と訳される hygge の「その心とは?」を英語で解説してくれているサイトがあります。この二つの言葉、形も似ていますね!

面白いですね、「リュッケ&ヒュッゲ」ですね! 僕が思うのは、デンマーク語の lykke やフィンランド語の onnellisuus は(英語では両方 happiness の訳語とされる)、英語で言うならば happiness よりも今日話したウェルビーイングに近いんじゃないかと思うんです。つまり、手のひらの部分、みんなが必要としている部分の「しあわせ」です。
 フィンランドやデンマークでは、共通部分が高福祉国家のシステムで保障されているから、人それぞれの部分とは関係なしに、「いや、普通にしあわせだよ」となるのではないかと感じます。「しあわせのケーキモデル」にも合致する発想ですね。そんな「しあわせだよ」という人たちが、指の部分での不満は普通に抱えていたりするわけです。でも、注目する箇所が指じゃなくて手のひらなんです。

日本では、SNSを見ていても、「私はこういう瞬間にしあわせを感じる!」って、指の部分に注目した投稿をよく目にします。共通の手のひらの部分をしあわせの一部としてあまり認識していないような気がします。日本の医療や福祉も世界的に見れば、悪くはないとは思うんですが、手のひらの部分も全部しあわせの一部として感じられると、日本の幸福度は変わってくるのかもしれません。

そうかもしれないですね。日本では、他人を見てあまり飛び出ないようにする、いわゆる「同調圧力」が強いので、逆にしあわせを考える時には個別に考える傾向があるのかもしれません。日本では欧米よりも一人旅やソロキャンプ、一人で飲食店に入ることが一般的なのも似ているように思います。
 欧米は個人主義が根底にあるので、逆に今僕のいるオランダの大学では、コーヒータイムもランチタイムも、ほぼ毎日大勢で誘い合わせてみんなの顔を見て話しながら過ごします。同じように、しあわせを考える時には共通点に注目するのかもしれませんね。

日本でウェルビーイングが流行る理由


日本でウェルビーイングがあちこちで推奨されるのは、そのあたりに理由がありそうですね。日本ではいつの頃からか、「周囲を見て自分の行動を決める」タイプの文化が出来上がっていったので、反動するかのように、「しあわせ」では個別の部分、つまり指先の部分を主に見るようになった。でもそんな「個別のしあわせ」に注意が行きがちな文化の中で、「何か欠けているな」という感覚になっているものが、手のひらの部分、つまりウェルビーイングなのかもしれません。

なるほど。以前 SNS でこんな話を読みました。金融系コンサルに勤めるエリートビジネスマンのその人は、お金は十分に持っているものの、使う時間も、使う興味の対象を追求する余裕もないそうです。ただ、釣りに少し興味があって、ある日「高級釣り具」を大量に買い込んだんだそうです。もちろんその釣り具を使って釣りに行く時間はなく、家に届いた数百万円分の釣り具を眺めて満足した、というなんとも言えない記事でした。

それは悲しい……指どころか、「爪の先のしあわせ」ですね。収入は減っても働く時間を減らして、好きな釣りに一人でも仲間とでも行けるようにした方が、例え安物の釣り具しか買えなかったとしても、その人にとっては今の状態よりずっと、「しあわせ」かつ「ウェルビーイング」な状態なのではないでしょうか。バランスを取るポイントをよく考えたいですね。

美織さんも新生活で、「今日はご褒美カフェ」「今日はご褒美ディナー」って、「ご褒美」の頻度が高くなってきたら、要注意ですよ。ストレスレベルが上がって、視線が手のひらから指先へ移っている証拠ですから。

そうですね、そんな時には休みの日に手を太陽にかざして、「手のひらを太陽に、すかしてみれば」って、懐かしい歌の歌詞を思い出すようにします。

「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
 また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年6月26日)

しあわせ探求庁|Shiawase Agency
  
日本支部:成江 美織
  (miori @しあわせの探究
オランダ支部:佐々木 透
  (ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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