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1日目:雨を「晴れ」で描写する

フェネック文章力向上月間
Day1 雨の日について


記念すべき第一回目のテーマは「雨の日について」であるが、私自身は雨の日にまつわるエピソードなど特にない、という最初から危機的な状況に陥っている。
そこで、代わりに「雨」と聞くと必ず思い出すものを紹介したいと思う。Coccoの「Raining」という曲だ。


それは とても晴れた日で
未来なんていらないと想ってた

Cocco「Raining」

これは1番のサビの歌い出しだ。
タイトルに反し、この曲では晴れている描写が続く。教室で突然静かに立ち上がり自分のおさげを切り落としたり、己の腕を切ったりと終始不穏な描写が続くが、それらはすべて晴天の下で行われる。悲しみを唄うならば、雨というお誂え向きの描き方があるというのに。


ならば、なぜ「Raining」というタイトルなのだろうか。もやもやしながら曲を聴き進めていくと、終盤になってようやく「雨」という単語が登場する。

今日みたく雨なら きっと泣けてた

Cocco「Raining」

ここでようやく、我々聞き手はこれまでの晴天が「泣きたくても泣けなかった閉塞感」を表現するための手段であったことを理解する。
初めてこの曲を聴いたとき、この鮮やかな手法に魅力された。直接的に雨を表現するより、余程雨らしいとすら感じる描き方に惚れ惚れとしたものだ。


泣きたくても泣けないとき。
子供の頃は、世界が単純だった。お腹が空けば素直にそれを訴えればいいし、楽しければ笑い、悲しければそのまま泣けば良かった。いつから、己の感情を素直に出せなくなったのだろう。自分の感情すら見失ってしまったのだろう。

そんなとき、この曲はすっと心に染み込み、静かに寄り添ってくれるような気がするから好きなのだ。
泣けない気持ちはきっと、大人ならば誰にでも覚えのあるものだと思うから。



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