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大下英治「最後の無頼派作家 梶山季之」今日はノンフィクションが必要だった。

桐野夏生「玉蘭」のあと小説を読んでいなかったが、何日か前に恩田陸「まひるの月を追いかけて」を読みはじめたものの、百頁くらいでやめてしまった。
次の日に中脇初枝「きみはいい子」の後半をひらいたがこれも続かなかった。
積読本が何十冊もあるのに手が伸びなかった。
映画は毎日のように観ていたからふと思った。小説は映画ほど楽しめないのかな。おれは小説を必要としてないのかな。

ところが昨日図書館で借りてきた大下英治「最後の無頼派作家 梶山季之」を今朝読みはじめたら、これが止まらない。幼少期の満洲での暮らしなどあまり興味のわかないところは斜め読みして、一気に読み終えた。
ああ、そうか、いまの自分はノンフィクションを求めていたのか。
そういう気分だったのだ。ウクライナやガザのニュースをたくさん見て、記事や論考も読んで。それから脚を痛めて家で長時間過ごして。そんな状態だったから、小説を読みはじめても作家の世界に入っていけなかった。
梶山の評伝は、本当は純文学作家を志しながら、膨大な作品を書いてベストセラー作家となった苦闘の姿が生き生きと描かれて引き込まれた。時代もわたしが中学生の頃からのことで、すごくリアルに感じられたのだ。
恩田陸の異母兄の行方がわからなくなるミステリーや中脇初枝の児童虐待のハナシは、今は要らない。読みたくない、って感じなのだ。
まあ、こんな気分になることもある、でいいんじゃないかな。その時々でしっくりしたものを読めば。映画だってそうだ。重いハナシは観たくない、恋愛ものは要らないってときもある。
今のわたしは、よりリアリティーを感じられるノンフィクションやドキュメンタリーや映画を求めてる。しばらくしたらまた気分は変わると思うけど。

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