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通知表って何なの。

どうもしいたけです。
普段は教育関係のお仕事をしています。

いよいよこの時期が来ました。
あゆみってやつです。
地域によって呼び方が変わるのかな。
今日はそんなことをまとめておきます。


通知表いるかどうか問題。

学校のブラックな働き方がバレてきました。
世論的にも、学校的にも、
このままじゃいけないよねって
空気感を感じます。
働きすぎているんですよねー。

働き方改革などで、
学校の業務改善が急務なこの頃。
話題にあがりがちなのが通知表です。

みなさんは通知表貰って、
どんな感情になっていましたか。

しいたけは良くできるの○の数だけ、
お小遣いが増えたり、ゲーム買ったりなど。
子どもの頃の自分にとっては大きなことでした。
一喜一憂していたなぁ〜。

この通知表がいらないのでは、と
働き方改革の中で上がっているみたいです。
しいたけの学校ではないんですが、
インターネット上でみかけることがありました。

この時期にかなりの労力をかけて、
作り上げている通知表。
これって果たして誰の何のためなのか。

ちょっと切り込んでいこうと思います。


通知表ってなんなの。

通知表のことをあゆみといっています。
少なくともしいたけの地域はそうでした。

さてさて、このあゆみ。
大人になって教師としてつける時には、
評価ってやつからは逃げられません。

あゆみの評価はどうつけているのでしょう。
裏側をちょっとだけ紹介していきます。

小学校の場合は、
単元ごとにテストをすることが多いです。
かけ算のテストとかごんぎつねのテストとかです。
あれの結果がベースになることが多いです。

学期ごとに様々な単元のテストがあります。
算数ならかけ算や足し算をならったり、
図形や長さのcmってのをならったり。
細かいやつだとかけ算とかは、
1〜5の段のテストって分かれてたりもします。

そんなテストを2週間に1度ぐらい行い、
全ての単元の平均点を出していくんですね。

90点以上の点が取れていればA
70点以下の点であればCのように、
点数ベースで考えていきます。

その後、ノートの記述や授業中の様子など
総合的に判断して評価をつけていくのですが。
図工など、点数がつけにくい場合もあります。
教科ごとの特性を考えて判断をしていき、
このぐらいの時期にまとめていくんですね。

その子に合わせたコメントや、
学校生活の記録なども一緒にまとめます。
昔は手作業だったみたいです。たまんねぇ。

そうして出来上がったものが通知表です。
結構な労力がかかっているんですよ。

改めてこのあゆみってやつ、
誰の何のためのものなんでしょう。
教師のための通知表なんでしょうか。

それならば、通知表はいらないけど。


評価って何なの。

そもそもあゆみって、
一体、何を評価しているんでしょうか。

テストの点を調べているだけで、
その子の評価をつけていいものなのかなぁ。
学力ってもっと幅広い感じだと思うのだけれど。

ちょっと調べてみると、
興味深いものが見つかりました。

 教師は、授業を進めていくなかで、児童生徒たちを注意深く観察したり、質問したり、あるいは簡単なテストを実施して、学習の成立状態を確認、把握しようと努めます。
 この確認、把握作業が「形成的評価」であり、これを行うことにより、児童生徒の取り組むべき学習課題を個別に指示し、学習の進展を図ることが可能になります。
みんなの教育技術より

評価とひとまとめにしていたけど、
評価ってのにも色々な種類があります。
そういや大学で習った気がする。

通知表における評価は、
形成的評価や査定としての役割が強いのかな。

子どもたちや保護者へ伝えることで、
より良く学んでいってほしい。
そんな想いや願いが大切なんでしょう。
本来はそういった意図で、
通知表が作られていたんだろうけど。

時代が変わっていく中で、
勉強ができる=幸せに生きられる
って価値観が変わっていった
のかな。

勉強ができた方がそりゃいいけど。
今のこの時代は勉強ができるだけでは、
困ってしまうことが多いんでしょう。
大人が経験として知っているので、
結果として、事務的な作業になってしまう。

教師は作るだけ作って、
保護者はよくできるの数を数えて。
子どもたちは落ち込むだけ。

そうなってしまうと悲しいなぁ。


一生涯を幸せに生き抜く。

評価ってのはそんな冷たいものなんでしょうか。

しいたけが覚えている先生は、
結果だけでなく過程をよく見てくれていました。
今でも覚えている通知表があります。

しいたけくんは忘れ物が多くて、クラスの中の忘れ物大臣でした。何度言っても忘れてくるので、嘘をついているのではと疑うこともありました。けれども、正直に何があったか説明してくれます。誠実に話してくれるのです。〇〇先生は、前日にお家であったことがわかるようになるほど、話してくれていました。忘れ物をしてしまっても、嘘をつくことなく話してくれていました。
確かこんな感じ

まぁ、親にはね!
めちゃくちゃに怒られたんですが。
なんかちょっと嬉しかったんです。

正直にいうと嘘をついていたんですが、
先生が自分のいろんなところを見てくれていて。
何となく言っていたことを、
覚えてくれているんだなぁと思ったんです。
そこから先生には嘘はつかなくなりました。

事務的につける通知表よりも、
もっと意味合いが広くてあったかいもの。
そんな感じで評価が使われていたのかな。

そういえば親もよく先生と話していたなぁ。

子どもたちの一生涯の幸せのために、
通知表が使われていくと素敵だなぁと思います。
もっと言えば、通知表じゃなくても。
保護者の方に授業を見てもらって、
雑談する機会が増えるといいなと思います。

そうやって人に囲まれて、
あたたかい評価を感じること。

それが一番大切にしたいものかなぁ。

そうやって通知表を捉え直そうと思いました。


当たり前を問い直す。
そのためにnoteがあるんですわ。

ぼちぼち書くのでお付き合いください。
またね。