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じゃがいもを提供したり、事業として農業を提案して実践したり、YouTubeチャンネルを提案したり、イベントのたびに駐車場整理をしてテントを立てて解体したり、1枚1,000円のタオルを20枚自腹で買ったりした商工会青年部は今後も同じことをやっていくのだろう。

 他の市区町村の商工会青年部でも同じような感じなのかもしれません。反対に、きっちり事業を行う経営者集団の魅力的な組織としての青年部もあるのかもしれません。他の商工会の青年部については知らないので、私が所属していた西原町商工会青年部での活動記録です。

 入部したのは6,7年前だったと思います。誘われて入りました。倫理法人会という朝の会(宗教観の違いにより半年超で辞めましたが)で出会った経営者からです。うちの部だけかもしれませんが、誘われない限り、自分で青年部の存在を探して入部届を出すというのは至難の業だと思います。誘われるまでその存在を全く知りませんでした。30年以上同じ町に住んでいながらです。青年部は西原町商工会の一つの部会という位置付けで当たっていると思います。西原町商工会の上に沖縄県商工会連合会、その上に全国商工会連合会という商工会法による法人がある、という形です。

 さて、入部以来今一何がしたいのか分かりませんでしたが、まず新入生歓迎オリエンテーションという名の飲み会、西原町のクリーン活動、経営者の主張発表退会、献血活動、西原まつりの運営の一部受託、中部地区9市町村で行われる広域産業まつりの企画、運営。県大会、全国大会。月に一度の会議。一年の流れはざっとこんな感じです。コロナ禍前。他にもあるかもしれませんが、県大会、全国大会以外は参加しました。

 そこで感じたことは、何かやる度にお金が必要だということです。そのお金は「資金造成」という土地造成のような事業として行われる。資金造成は平日、休日のゴルフで集めることが多い。他に(普通の)タオル1枚を1,000円で20枚誰かに売るというノルマで資金を造成する(自分で2万円出して買ったので、家に20枚あります。使っています。)。Tシャツ1枚を2,500円で売る(誰か買ってくれる人に。友達に薦めらるデザインではなかったです)。このように造成した資金と1人年10,000円の会費と、商工会からの予算、3つの資金源で青年部を運営しています。

 何かに付けて終わる度に飲み会。月に一度の会議、資金造成ゴルフ、とにかく何かあった後は飲み会。6,7年で2回くらいしか行きませんでした。やり切ったという感じがしなかったのと(じゃないと酒が上手くない)、途中から子供が産まれて忙しかったのが理由です。飲み会では色々なことが決まっているらしく、知らない間に何かをやることになっていたり、誰が役員か決まっていたり。別に良いんですけど。出来れば青年部のお金から出すのは、少し控えて欲しかったです。

 集めたお金。何に使うかというと、うちの青年部では熊本県西原村との交流事業に使う金額が多いと思います。熊本地震が起こった年に始まりました。最初地震を知って、その後西原村という存在を知って。交流事業をやるのかやらないのか、という話し合いがもたれたとき。反対や慎重な意見も多かった中、私は賛成でした。そしてその当時の部長(現在西原町観光まちづくり協会の副会長)、副部長(その後部長、現在西原町観光まちづくり協会の理事)が中心となってやることに決まりました。やる気でしたが、方針が決まっていくうちにやる気を失くしていきました。なぜかテーマが「癒し」。。。西原町と西原村の交流なのに、西原町以外の観光地巡り(それ、違ってないかな、お互い疲れませんか。)。最後には、この事業には今後関わらないことを決めました。

 私は資金造成でゴルフなどを行うのが筋が違うと思っていました。経営者の集まりなんだから、頭と体を使った事業で資金を集めるのが普通だろうと。その意味でタオルやTシャツはデザイン・価格がちゃんと見直されれば賛成です。私は畑を600坪借りて、青年部に呼びかけました。事業として農業をやりたいから、出来るときでも遊びに来てくれたら助かります、と。その前の祭りで畑で獲れたジャガイモを青年部に提供していました。

 1年間、誰一人として手伝ってくれませんでした。言い訳ですが、子供も小さかったので、1年間収穫までして賃貸借契約を終了しました。あの1年で他のどの部員よりも汗をかいたと胸を張れます。

 部員の構成はといえば、元ヤン、地元ヤンキーです、みたいな人間が多いです。高校の時に野球部にたくさんいたタイプです。が、根性がある様にみえてあまりないので(ちなみ体力もあまりない。)、楽をしたがる、強がってみせる、約束を守らない、ということが頻繁に起こります。業種は8割建設業関係。また司法書士で参加していましたが、規約や議事録、式典の成立要件などについて訊かれることもなく、仕事でも交流はほとんどなかったので、話を合わせるのが難しかったです。会議中も質問したら、違う回答が返ってきたり、なかなか難しいかったです。難しいばかり言ってますね。

 祭りなどイベントがあれば、テントの設営、駐車場整理、テント解体。人数が少ない時期は難儀なときもありましたが、今思えば単なる駒として使われていたような気がします。何故か部長が二代続けて、最後の片付けまでしないで飲みに行ってしまうという残念さ。それ以来、大きなイベントは参加せず、クリーン活動と献血、西原まつりのみ、地域貢献という意味で最低限参加しようと決めて過ごしてきました。

 ところが、なかなかそうはさせてくれません。(一社)西原町観光まちづくり協会の理事の約半数が商工会青年部の部員。

 商工会青年部では、あまり自分に害がなければ何も言わないようにしてきましたが、今回は仕事として法人設立を受けていたので、きっちりした法人にしたかったこと、設立後に自分でやりたい・出来る事業があったことから、青年部の元部長、前部長など関係なく(実際関係ない)必要なことは言わせてもらいました。

 その結果の退部。後悔は全くありません。ただ忘れることはないので、ちゃんとお返しはします。死ぬ気で。