見出し画像

バナナマンは熟してるのか腐ってるのか


星野源のオールナイトニッポンにバナナマンがゲスト出演した事が話題になっていました。

バナナマンと星野源さんとの間にある時間をかけて築き上げた理想的な関係性。お互いのラジオ番組でその裏話も含めてパフォーマンスを披露しあうバランス状態は、「密室」と「大衆」を結ぶ黄金比のひとつの答えであるように思えます。

星野源さんのシティボーイズファンだったというエピソードから感じる出自と今現在の国民的なスター性。
そしてバナナマンのメディアでの知名度と元々のライブ界でのカルト的な人気を誇ったアングラ性。
この一見すると自然と重なり合ってるようでスタート場所から目指した方向が真逆であったその点と点が、いつのまにか延長線上で結びつき両者不思議なバランスで成り立っている。まるでそれは2つの風景の消失点に到達しているかのようです。


しかし、この状況を見てつくづく思うのはやはり

「バナナマンは元々こういうタイプの芸人ではなかった」

という事に尽きる事です。


オンエアバトルなどの深夜のネタ番組に出ていた頃のバナナマンから比べると今現在の活躍は信じられない程の大躍進であり特にその頃から観ていた視聴者、観客からするとその目覚ましさにはある種の感慨深いものがあるのはないでしょうか。

もちろんそれは「苦労した時代があったからこそ売れて良かった」という王道の形式美に乗せる事が出来るお笑い芸人のひとつのサクセスストーリーではあるのですが、ことバナナマンに関してはそこに若干の違和感も個人的には感じます。

当時テレビ出演の中で披露されていたいくつかのコントではまだその真価が尺や放送コードなどから鳴りを潜め演劇的などとパッケージングされ紹介をされていましたが、ひとたび単独ライブを中心とした現場に足を運んだりそれを納めたVHSや DVDで確認するとそこには「密室芸」以外呼びようのないグロテスクでバイオレンスでノンコンプライアンスな芸を数々披露している姿がありました。

一言で表すならば「無自覚を装った不謹慎」とでも言えましょうか。

この時代のライブを中心に活動の軸足を置いていたコント芸人全体の空気感としてブラックというかダウナーな雰囲気は基本常備されていて、それはここら辺の東京のボードビル的なお笑いで言えばラーメンズやバカリズム、鳥肌実や、関西では千原兄弟などその文脈を強く意識して表現していたグループが多数いた印象があります。端的に言えばコントの中で人が死んだり、大分エゲツない下ネタとかが平気で入っていたり、そういった今それをライブだとしても披露したとしたらクレームが入ってしまうような代物を皆好んでやっていた記憶があります。そして何よりそのタイプの筆頭的存在はバナナマンでありこの面々の中でも特に上記したような「無自覚を装った不謹慎」なネタの極みをそのまま舞台上に垂れ流して片付けずに帰るというようなコントを演じていました。

ここに並べた動画でもまだ生ぬるいと感じてしまうくらいで僕が特に好きなのは「幸せな日々」「Loser」「puke」「ハナからのハジマリ」「修学旅行」などがあります。褒め言葉としてですが、もうはっきり言って気持ち悪いです。観る人をだいぶ選ぶ笑いだと思います。特にこの「修学旅行」というコントはそのニュアンスにたまらないものがあると同時にメッセージ性としてかなりアナーキーであると感じるのでもしよかったらご興味ある方は探してみてご覧下さい。

さて、ここからが本題なのですが
バナナマンのそういった元々の「密室芸」的な気質と、今現在のテレビタレントとしての立ち位置にかなり印象の差に開きがあります。その事に対して単純に違和感があるとは言い難いのですが、その時代を知っているバナナマン好きからしたら「丸くなった」「あの頃の尖った姿勢が好きだった」という意見もあり、また今現在のテレビタレントとしての立ち位置が磐石なため日村さんのフライデーでの報道や設楽さんの時たま上がるネットニュースでのバッシングなどから伺える潜在的な好感度の高さによって「ショックだった」「そんな風には見えない」という揺り戻しの感想、この相反する両極端なパブリックイメージにはそのどちらにも賛同しかねる部分が僕にはあります。

このポジショニングの難妙さの正体は一体何であり、また本人たちは如何にしてそこに辿り着いたのか?そういったバナナマンの軌道と変容を順を追って紐解いて言語化出来たらなと思います。今回はそのような内容です。バナナマン好きの方は是非一緒に思い巡らせれましたら。お付き合い願います。

1.ネタ

では

バナナマンのその「密室芸」的な気質が「大衆芸」的な場所で通用するようになったのかを類似する性質や比較対象として上げれそうな他の芸人と並べてみる事で見えてくる何かがあるかもしれませんのでそれを確認していきましょう。

まずその中核となる「ネタ」の部分です。

バナナマンの演じるその密室芸の極み的なコントにしろ一発ギャグ的なものにしろ他と一線を画す点はその「音楽性」の上に立脚しているという点ではないでしょうか?

バナナマンのネタのその多くは2人のリズム感からくる軽妙な掛け合いだったり台詞のメロディライン的な聴き心地の良いなぞりの上手さ、そしてそのコントの中には持ちネタとして意外にも歌ネタが多数取り揃えられています。単独ライブで定番化されたフォークディオ設定の「赤えんぴつ」や自身のラジオ番組のコーナーから発生した「ヒムペキ兄さん」はその代表格であり、他にも「T-STYLE」という名義で音楽ネタを配信していたり、おぎやはぎとのユニット宇多川フリーコースターズで「みなさんのうた」というミニアルバムを出していたり、ゴッドタンの「マジ歌選手権」では日村さんがトップバッターを飾るヒム子のアイドルソングはもはや年末の風物詩としてお馴染みになってきていると言っても過言では無いのではないでしょうか。

このように明らかな「音楽性」の高さからくるネタの数々はどのような着想から生まれまた何から影響を受けて作られているのか?その源泉はバナナマンというコンビ名の由来にヒントがあります。

1994年2月に「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビュー。春に「バナナマン」と改名してOFF・OFFシアターで初単独ライブ『処女』を開催する。由来は「外見は黄色い「黄色人種」だが、一皮剝けば白色の「白人」のごとく振る舞う日本人」を聴き覚えていた設楽 の提案で、コンビ名を「バナナマン」とした。バナナマンの「マン」はスネークマンショーが由来。 Wikipedia「バナナマン」より引用


その黄色人種云々の俗称を名前に入れ込んでしまうセンスもさる事ながら、はっきりとスネークマンショーの名前が出ています。そう。バナナマンの「音楽性」の高いコントはスネークマンショーのオマージュである事がそこで物語られているわけです。

スネークマンショーは1975年から開始された桑原茂一さん、小林克也さん、伊武雅刀さんによるクリエイターユニット、ラジオコントユニットです。TBSラジオでの冠番組の中で先鋭的な選曲とその曲間で行われるラジカルなコントが人気を博しました。数々のCMを手がけたりYMOとのコラボアルバムリリースしたり、その風刺の痛烈さや下ネタの過激さ、麻薬ネタや同性愛ネタ、反権力、社会批判を彷彿とさせるラジオコントの数々は放送禁止になる事を含めて半ば伝説と化しています。1980年代辺りに自然消滅していますが2000年代頃に桑原茂一さんの行なっているコメディクラブキングなどの活動にバナナマンも参加しています。

簡単に言ってしまえばバナナマンの「ネタ」はスネークマンショーがラジオコントとして行っていたものの舞台版でありそのギャグのエッセンスは笑いの本場である大阪の吉本新喜劇や浅草の演芸場などで行われる漫才や落語などのいわゆる「お笑い」という文脈そのものからは出発点が少し異なっています。もしかしたら本人達の意識としてはコメディでもバラエティでもエンターテイメントに差は無いという心づもりかもしれませんがそこに確実に存在している「音楽性」による笑いの比重はこのスネークマンショーの影響がかなり大きいと感じます。

この2つのネタは相互交換が可能かもしれません。


2.トーク

バナナマンの密室芸の極み的な気質がスネークマンショーの影響による事が何となく確認出来ました。しかしそれだけではメディアに出す事の出来ない伝説の「ネタ」芸人としておそらくその名はメジャーシーンにまでは轟いていなかったでしょう。芸人は「ネタ」で認識されたらその次の段階は「トーク」です。喋れるのかが問われ出します。

バナナマンのトークの特徴はネタで行われるコントの延長線上にあるような空気感を残したままキチンとしたパッケージングをされたものではなくその場のノリで流れが変容していく座敷芸的な「文脈性」ではないかと感じています。

設楽さんも日村さんもそのテンションを含め一般的にイメージするお笑い芸人の掛け合いやエピソードトークと比べると少し緩めに設定してあり隙があるというか「はい。笑って下さい」感が薄めです。これはこの時代の「ダウンタウン病」と言われるようなローテンションでアンニュイな雰囲気と姿勢でお笑いを志す若者が多かった事による時代的な空気も関係あるかもしれませんが、そういう理由よりももっとそもそもの構造というか笑いを取るシステムが「ダウンタウン病」を患ってる手法と違う気がします。

なんというかその力んでいない事による油断のさせ方から観客や視聴者さらに裏方を含めたその場の個人個人と肩を並べるようにコミュニケーションをはかりそしてその横並びになった関係性の中で展開ごと空気を変えていってしまうようなイニシアチブの取り方をするのです。これはバナナマンのトークを聞いた事のある人なら分かると思うのですが妙な親近感と気付いたら気持ちを持ってかれているような人身掌握術は設楽さんはもちろん実は日村さんも絶妙にその方向にアシストして誘導しています。漫才師の話術による方法論とは角度の違うコント芸人ならではの若干のセミナー商法的な手口がそこには見え隠れしているのです。

この喋っている本人の話術だけで完結しないその場の展開を含めた「文脈性」のあるトークはどこら辺から来ているものなのでしょうか?このプロレストークとも呼べるような盛り上げ方と半ドキュメンタリー的な手法はなにかで見覚えがある気もします。今から15年ほど前にTBSラジオでバナナマンが現在やっている枠に似たような芸風のコンビが居ました。そうです。極楽とんぼです。

極楽とんぼこそそのトーク運びが加藤さんのふっかけから始まり山本さんがそれに乗っかってリアクションしてゆくプロレスのような喧嘩コントで人気を博しました。それは即興と決め打ちの半々くらいの割合でオチだけ決まっているアドリブのやり取りの面白さであり、ともすれば事情を知らない視聴者からすれば本当に喧嘩をしているように見えてしまうその事件性も込みのパフォーマンスです。その文脈を読み取れるか受け手の度量が問われる座敷芸をしていました。若干の違いはあれどこれはバナナマンが行なっているトークの方法論とかなり近いものがあると感じます。

バナナマンが極楽とんぼのこの手法を明確に真似て取り入れたかと言うとそうではないと思います。こういったトークの手法自体は昔からありますしどちらが先に始めたという事でももちろんありません。ですがいろいろな状況が重なって間接的に影響しあった部分はあるのでは無いかと感じています。設楽さんが番組の中で「スッキリ!の加藤さんは自分の立ち位置的にも目指す所である」と発言しています。両者偶発的にそのスタイルが通ずる部分がありますがバナナマンの方がやはりよりコント的で極楽とんぼの方がフェイクドキュメンタリー性が強いなどの特徴の違いもあります。

その違いからバナナマンの方は凡庸性があり広く様々な現場で応用が効き、また極楽とんぼはその強いインパクトによりある固定の層から圧倒的に高い支持を得ています。


3.タレント

座敷芸的な「トーク」は極楽とんぼの影響があるかもしれない事がわかりました。その「文脈性」を駆使して発言権自体を得てる状態になれば次は「タレント」スキルです。ここら辺からテレビの中に置けるポジショニングの話になってきます。具体的な技術がどういうものか見えにくいものですがその画の中に収まりがしっくりくるか、登場人物としてアイコン化出来るのかの能力です。

これもまたバナナマンは誰かを明確に真似て取り入れたわけでは無いと思いますが、ネタや簡素化されたトーク以外のバラエティの企画を成立させる要員として呼ばれ始めた段階で2人の意識としては変わっていったのを観ていて感じましたし、それ自体を裏話的にラジオやインタビュー記事では話していたりします。またお互いに明確に相手のキャラクターやストーリーを確認しあうような打ち出し方を行使していて、なんだったら初期の頃のバナナマンはむしろ設楽さんの方がコントの中でアホキャラを演じ日村さんがそれにキレながらツッコんだりするという少し強面の感じがあり今と逆のイメージとフォーメーションだった記憶があります。しかしどこかでか意図的にそれを調整し設楽さんが司会などのキチンとした役を日村さんがややポンコツ風のいじられ役を各々で担いそれを企画によってシームレスに提示してゆく。テレビ画面の中での額縁芸としてその「多面性」を演出しているのだと思います。

この自分達の見られ方の意識、そして別の機会ではその意識込みで現状を語ったり俯瞰したり、またさらに別の機会では物語として強調したり引っ込めたり、そういった場面場面によってのアイコンの使い分けと時間をかけて固定させ維持するタレントスキル。この「多面性」は一体どこを参考にしているのでしょうか?これもまた憶測になりますがおそらく一時代の寵児として視野に入れているのはコント55号ではないでしょうか。

コント55号もそのスタイルから特に萩本欽一さんのタレントとしてのアイコンはかなり変容しています。コントの中での異常で狂気の溢れる危ない人物から視聴率100%男なる異名を手に入れた素人いじりやテレビバラエティの基礎を築く名司会者、24時間テレビでの毒素の抜けた善良さとある年代から圧倒的な好感度の高さから来るみんなの欽ちゃん、その振り幅は単純なキャラ変更ではなくほぼほぼ人格まで変わっていると言っていいくらい徹底してその画面の中の登場人物であろうとしている姿勢を感じます。坂上二郎さんも振り回され役だけではなくそのコントの中での演じ方や欽ちゃんとの関係性、自分達のキャラクターをストーリーを乗せて見せる演出も要所要所で行っているのがわかります。

このラジオでとんねるずの石橋貴明さんも「設楽くんのツッコミはコント55号の欽ちゃんを超えてるんじゃないか」と発言もしています(10:00ぐらいのところ)。極楽とんぼもそのアドリブ性をコント55号から参考にしていると言及しています。またQ様での解散ドッキリ、リンカーンでの日村さんのウルリン滞在記、設楽さんの年間テレビ出演本数ランキング一位などなど。漫才師のボケツッコミのバランスではなくコントのフリコナシのフォーメーションでお笑いタレントとしてテレビ画面の中に映る術をドSキャラやいじられキャラというようなわかりやすくアイコン化するそういった点でその模範としてコント55号を意識している事はバナナマンもやぶかさではないように思えます。

設楽さんと萩本さんの演出力だけでなく日村さんと坂上さんの余芸を成せる器用さなどの類似性も感じます。


4.演技力

ネタ、トーク、テレビ、となんとなく憶測ではありますがどこら辺を媒介しそしてその範囲、領域を広げてきたかじんわりと確認出来てきたかと思います。この次の段階は「舞台性」を伴う「演技力」ではないでしょうか。ここら辺から「大衆芸」の地点に到達していきます。ようはベタなものを獲得できるか。バナナマンのそもそもの出発地点であるスネークマンショー的な「密室芸」のニュアンスを例えば平日の昼間の親子連れの客層の多いショッピングモールのイベントでは披露して盛り上げるのは想像するのが難しいと感じます。ですがそれを極楽とんぼ的なトーク、コント55号的なタレントスキルを獲得していった事により求められるキャッチーさポップさなどは上がっていったとイメージできます。そこらへんの大衆を加味した「舞台性」これはどこを目指して手に入れていったのか?

このポイントに関しては具体例を出して「このサンプル」だとは言い難いくらい当てはまりそうな人達が居て広義になってしまうので言及を避けたいのですが、いわゆるよしもとの劇場の舞台を踏んでいる関西出身の芸人さんの中で「モノマネ芸をするタイプ」の手法を多く取り入れていったように感じます。

この時期のM -1グランプリやアメトーークなどの影響によりよしもとの関西芸人の団体芸がバラエティを席巻した状況の中でバナナマンがその対抗馬としてある程度目立てたのはこういった一点突破型の分かりやすいモノマネ芸が出来た事による部分は大きいと思います。元々2人ともこの類のショートコントや一発ギャグ的な跳び道具は持っていたのですがこの時期に明確に日村さんが「子供の頃の貴乃花」をメインの武器として押してゆく事をしだしていて設楽さんのアシストも含め明らかにそれをベタな方向に寄せていってたのが見て取れます。日村さんへの「ブサイクいじり」もこの辺りで明石家さんまさんにキャラ付けされてからより取り入れるようにしたと設楽さんは語っています。

特に日村さん単体でその能力が高いのですが即興的に演じ込みができそしてそこに設楽さんも合わせてゆけるエチュード的なテクニックを客前の舞台などで作り上げる手腕が劇的に向上しています。これはコントをやっていたから出来るのはもちろんなのですがそれを舞台上で喋りながら自然に切り替えれる演技のし方はおそらく中川家や次長課長のやっている漫才や一発ギャグ的なモノマネを近場で見たり実際に絡んだりする事でそこからそのキャッチーでポップな演技に寄せる塩梅を手に入れていったのだと思います。キングオブコントで2位になったり日村さんが映画の主演を勤めたり、またアイドル番組のMCの座についたりする事で設楽さんのそのアシストやいじり方も引き立て役として相方や共演者の芸人でなく年代の下の女性になるため、もう一段階ほど非常に分かりやすい司会者像になってゆく要因などがあり、大衆的な支持を得る演技の要素を様々な角度から得てゆきます。

ちなみに「舞台性」という意味でそのフォルム的にかなり似てる痩せてる人と太っている人の組み合わせとして1930年代頃にアメリカで活躍したコメディアン ローレル&ハーディというお笑いコンビも頭の片隅に置いておきたいです。こういったフォルムのコンビ芸自体が普遍的なものではありますがバナナマンの単独ライブなどで行われるコントのテイストが年々大衆化していってて動きの笑いに比重が傾いている事を感じている身からすると(日村さんもどんどん太っていっている事も含めて)ここら辺のサイレントやトーキー映画の要素も片鱗として感じます。さらに言えばこの2人の日本での名称は「極楽コンビ」です。

5.時代

ここまでで「ネタ」「トーク」「タレント」「演技力」というような順番で見てきました。それは上から下へ降りていけばいくほどその能力の「密室芸」的な要素が「大衆芸」的な要素を帯びてくるようなイメージです。バナナマンはスタート地点から元々持っていたその「密室芸」の濃度を薄めつつも手放さずにそれを抽出し調整してきているかのような立ち回りを常に行なっています。それをここまで引き伸ばしてきました。そしてその最後の要素。それは「時代」だと思います。

「普遍性」とも言えましょうか。何十年後かに観ても果たして面白いと思えるのかどうかという極めてシビアな目線を持った芸能や文化そのものに対する「伝統芸」的な要素を持っているのかという話になってゆくと思います。重苦しい言い方に感じてしまうかもしれませんが感覚としては私達の生活様式やその空気感にすんなり入っていけるような存在としてすぐ近くに居る雰囲気が時代を超えて形骸化するのかという事です。ただそれは現時点で確認しようはありませんし、それが「ネタ」で時代を越える芸人もいれば画像や映像としてメディアに残ってゆく「タレント」スキルで到達する人などそれがどの部分になるかは芸人さんによって千差万別だと思います。バナナマンはどうでしょうか?個人的にはやはり「ネタ」の芸人さんだと感じるのですがこの「時代」という要素に対して誰かをモデルにしてはいるのでしょうか?


おそらくそれは さまぁ〜ず だと感じます。

さまぁ〜ずの近年のお笑い界に置ける立ち位置はかなり重要な場所に身を置いていてダウンタウンやツービート、そのあとのオードリーや千鳥などに続いてゆく世代を語られる上での重要な人物達の中での中間のような地点にいます。この時代の東京の芸人の中でその面白さやライフスタイルなども含めて前の世代の更新をしつつ後の世代に影響を与えているその繋いでいるちょうどの連結部分になっている存在です。バナナマンはここに対して媒介していないはずがないと感じます。

一番の吸収部分はその「喋り方」です。時代性を反映している芸人さんの特徴の最大公約数はその喋り方やフレーズが流行るという点です。さまぁ〜ずは三村ツッコミと呼ばれる「〜かよっ!」はもちろん大竹さんのあの独特なイントネーション芸、そして2人の擬音表現を中心とした言語感覚はこの時代より前のバブル景気の頃の東京弁的なものから染み付いた物だと予想できますがバナナマンはこの「さまぁ〜ず型」の喋りのパッケージングが途中からかなり加速していったのを売れてゆく過程の中で感じましたし(設楽さんは埼玉で日村さんは神奈川出身なので関東圏でありながらこの時代の東京弁的なニュアンスは元々持っていたものではありません)またそのままそれを応用して自分達のオリジナリティをそこに乗せる事も成立させています。

また設楽さんは番組で「若手は皆さまぁ〜ずさんみたいに成りたがっている」と発言したり、三村さんが「日村に負けたくない」というような意味の言葉を残していたり両者そのポジショニングの違いはあれど逆説的に辿った道筋が似通っている事の証明を感じているのだと思います。事務所がさまぁ~ずはホリプロでバナナマンはM2カンパニーという所からホリプロコムに吸収合併した点もその各々の生息地帯と隣接部分の関係性が何かを表している気もします。


総評

さて、ここまで個人的な憶測ではありますがバナナマンが如何にして今のポジションを獲得してきたのかその類似する性質の他の芸人さんと比較し並べてみる事でなんとなくその軌道と変容の歴史を感じ取る事が出来たのではないでしょうか。

「ネタ」をスネークマンショーから
「トーク」を極楽とんぼから
「タレント」をコント55号から
「演技力」を関西出身のよしもと芸人のモノマネから
「時代」をさまぁ〜ずから

上から順番に「密室芸」→「座敷芸」→「額縁芸」→「大衆芸」→「伝統芸」というような段階を踏んでゆきながら領土を拡げてきたのが確認できます。

どうでしょうか?バナナマンのこの性質は。果たして「丸くなった」のでしょうか?それとも「そんな風には見えない」のでしょうか?その答えはどちらとも違うと言えるし、逆にどちらとも当たっていると言えます。なぜならそのどちらのイメージも本人達が望んで寄せているイメージでありその「無自覚を装った媒介技術」は意図していてサンプルが存在しそれは実は最初から仕組まれたものだったからです。

バナナは本来種のある植物です。しかもその数は夥しいほどにその身にぎっしりと詰まっています。しかし我々が普段口にしているそれは突然変異で自然界に生まれた種無しバナナでありそれが人類に見つかりそれを農耕により大量生産され今日のような爆発的な繁殖数を誇ったらしいです。そのバナナの果実の中心部を見ると黒いブツブツが。これはタネがあった頃の名残りです。その種無しバナナの突然変異はもしかしたら人間に見つかる事まで含めての計画的犯行なのかもしれません。

今完璧に売れ切ったバナナマンの振る舞いのそれにも、よく耳を澄ませ目を凝らしてみるとあの頃のブラックでダウナーな香りが漂ってはきやしないでしょうか?

戦後の甘美なる高級フルーツから、今は庶民の口に届く定番の子供のおやつとしてまで、その媒介具合は少し腐りかけて黒くなってきたところですらシュガースポットと呼ばれより密の味がしてしまうほどです。バナナマンの「密室芸」を「大衆芸」に見せる手腕は芸能界屈指の浸透度合としてその事実を今なお売れ続ける事で物語っています。これがいつまで続くのか?そう思って観ると今でもその奥底になんとも言えない危なっかしさが眠っているかのように感じてゾクゾクしてしまいます。

ちなみにですが、
バナナの皮はすり潰して煙草に巻くとドラッグとしても効果があるそうですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?