ガラガラ
ますだおかだのたぶんおかだのほうが「閉店ガラガラ」というギャグで一世を風靡、もとい、世間に認知されてから、何年かが経った。
今年2021年が丑年だと聞いて
「おいおい、ますだおかだのおかだが『ギュゥウ!!!』って干支ギャグやってた時からもう12年も経ったのかよ!!」
と思った記憶があるから(いいな、なんかバカバカしくて)、たぶん十数年くらい経った。
そしてこのおよそ2年の間に、いくつものお店が閉店ガラガラを余儀なくされた。
昨今の余裕のない世の中では、「閉店ガラガラ」というギャグは、やれコンプラがどうだの、やれアマプラがどうだの、言われるのかな。言われるんだろうな。うっせえな。
産業その他諸々の革命によって、世界は近く、窮屈になったように感じる。バレーボールで地球を表していたのが、ピンポン球になった感じ。(安心して、バレーボールは海王星を表しているらしい)
....いやちがう。ガラガラの場合の「閉店」は、営業時間終了の意味の「閉店」なのに、こういう使い方で使う俺のような俺がいるから、いけないんだ。いや、いけなくはないか。いや、いけないか。余裕がないのは俺の方か。
ああもうなんだかわっかんないけど、わかろうがわからなかろうが、閉じられたシャッターは、開店時間になっても開かない。
そうして商店街はシャッター商店街となり、アーケードはなんか雨宿りにいい細長い屋根になる。
小学生の頃ポテトフライを買っていた駄菓子屋は。中学生の頃坊主にしてもらっていた床屋は。高校生の頃バンドの練習をしていたスタジオは。
どれもなくなっていたら悲しいけれど、閉店の理由は様々で、そのすべてを憂うべきでは別にない。
事実を見つめずに、想像だけで生きていると、おかしなことになる。
ああでも想像の世界を生きるのがやめられないよ。
ねえ五十嵐隆、ねえラファータ。
本題、だと思う。
自宅の近くに理容店があった。
バーバーでも床屋でもなく、理容店。この3つの違いをあまり理解してはいないけど、たぶんバーバーは『バルバルさん』の感じで、床屋はおっさん一人で営業していて、理容店はエモい。
その理容店は、さらさら流れる川沿いにあって、川の色を吸いとったみたいな水色のタオルが干してある。服装や背格好がほぼ同じ60歳ぐらいの男性の従業員が二人、でもお客さんは大体一人。
二人はあまりに似ていて、顔はあまりわからなかったけど、ひそかに「20年後のザ・たっち」って呼んでた。なんか手を上下に動かしたりしてたし。たぶん。
エモいってなんだろうね。
自宅から駅への道中にあるその理容店の前を通るのが好きだった。
髪を切ったり、新聞を読んだりする二人を見て、ああでもザ・たっちには20年後もお笑いやっててほしいなとか、でも彼らの人生だしなとか、勝手なこと思ってた。「おいお前誰だよ」「南だけど」とか頭の中でふざけた会話もしてた。
いつか、勇気が出たら、ここで髪切ってみたいなって、ちょっと、思ってた。でも、もうそれは叶わない。
一年ぐらい前。
その日もいつも通り、駅へ向かうのに川沿いの道を歩いて、その理容店の前を通ろうとした。シャッターが、閉まっていた。
たしか毎週月曜と第二・第四火曜とかが定休日だったから、ああ今日は定休日か、って思った。
でもその日はたしか月曜でも火曜でもなくて、ただ、シャッターに張り紙があった。
臨時休業とかかな。利用しているわけでもないのに、張り紙を確認した。
○月○日、店主の〇〇が逝去しました。
長年のご愛顧ありがとうございました。
歩き出して、何事もなかったかのように振る舞おうとしたけど、できなかった。
全く知らないよりは知っていて、知っているよりは知らない、その店主の死が、思ったよりも悲しかった。
たくやだかかずやだかわからないけど、たぶんたくやの、あるいは達也の、残された一人の気持ちを、勝手に推し量ったからかもしれない。
「20年後のザ・たっち」とか茶化して言っていたのを、咎められたように感じたからかもしれない。
もちろん、人が死ぬことはとても悲しいことだ。それは間違いがない。でも、僕は完全なる部外者で、これが悲しい結末なのかはわからない。結末では別にないんだけど。
ただ、今日も水色のタオルは干されていなくって、シャッターは閉まっている。張り紙はずいぶん前に剥がされて、「〇〇理容店」という看板だけが、今もかかっている。
その張り紙を見ていない人には、いつ閉店したのかも、どうして閉店したのかも、わからない。理容店の名残りはあれど、シャッターは閉まったままで開かない。
幾人かはそれを不思議に思って、幾人かはそれを気にも留めない。
お客さんが座る椅子の位置も、本棚の位置も、テレビの位置も、位置なら覚えているけれど、僕の記憶も少しずつ薄れていってて、その色や正確な形はもう思い出せない。
それでも、シャッターを開けて、その正解を教えてはくれなくて、そもそもシャッターを開けたところで、以前のままなのかもわからない。
永遠に続くものは、ないとは思わないけど、限りなく少ない。
どこかで閉店したお店もあれば、開店したお店もある。
亡くなった人もいれば、生まれた人もいる。
これを世の常だと捉えるには朗らかさが足りないけど、時間とともにいろんなことが流れていく事実は、どうしようもなくここにある。そういう流れの中に、僕らはいる。
変な時間に目が覚めて、まだ昨日のふりをしている。
閉店ガラガラ、と昨日を終えようにも、昨日使った笑顔の補充分がまだ入荷してきていなくて、ガラガラと窓を開ける。
使い古した灰皿があって、また頼ってしまう。
明日もまた、在庫を切らしてて...とお客さんに申し訳ない顔をする。
発注は追いつかないし、自動では入荷しない。
おい革命、そろそろ起きる時間だぞ。
おい俺、そろそろ寝る時間だぞ。
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