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FISHBOYと24時間走者に共通して想うこと

昨年、最後の世界選手権を終えてからFISHBOYというプロダンサーにダンスを習っている。

ダンスに興味があったこと。兄のオリラジ中田敦彦オンラインサロンに所属していたこと。この2つだけでは入会はしなかっただろうな。と思う

彼もダンスの世界大会で2009年に優勝してたこと
"それでも日本人の多くの人には知られなかった"
という記事を読んだことが入会の決め手だった

自分もそうだったから。

自分は2010年に24時間走のフランス世界大会を優勝した。アジア新記録だった。20代で世界タイトルを獲得した初めてのランナーだった。自殺した父への葛藤。自分と似た原体験をもつ児童虐待体験児たちからの応援をチカラに変え、世界40万人の「BORN TO RUN」読者が知るウルトラランナーに勝った。ジャイアント・キリングを起こせたと思っている。でも日本では、競技そのものが多くの日本人には知られてもいなかった。生活はなにも変わらなかった。

競技人生でピークを迎えるだろう30代のラストにもう一度、日本代表に返り咲くことを誓いそれからの10年間。様々な競技普及のための行動をした

台湾で実績を出し続けて、中国語での自伝出版したり、認知度の低い日本代表クラスのウルトラランナーを集め、大会ゲストやスポンサー企画を絡めて500kmや1000kmの駅伝をしたり…

台湾で出逢った石川佳彦が日本代表として世界大会までたどり着いたときは、日本代表チーム団が勝つにせよ、負けるにせよ、多くの市民ランナーに知られるよう仲間たちとSNSでの拡散に努めた。彼はそのレースで最初のタイトルを獲得した。

オリラジ中田敦彦のアパレルブランド「幸福洗脳」企画でもラジオ番組に関わった誰よりも率先して行動し、自分の競技の存在が少しでも多くの人に知られるよう努めた。現役日本代表としてできる、最後の仕事だと思ったから。石川佳彦も日テレ「激レアさんを連れてきた」をはじめいくつものメディア出演を通じて、今も競技の認知度向上に貢献している。とても、良いと思う。

今、自分がコーチとして向き合うことになった3人のウルトラランナーにも世界一になっても世間に知られない悔しさだけは、味わって欲しくないと思う。

FISHさんが世界大会優勝直後から「全日本人ダンサー化計画」というスローガンを掲げ、ダンスの普及活動を今も続けていることも、根底は同じなのではないかと感じている。

大ヒット曲「パーフェクトヒューマン」で紅白歌合戦を踊ったことはFISHさんがダンス世界大会優勝の帰国後に感じたであろう悔しさの払拭につながったのかは、わからない。いつか聞いてみたいとも思う。

世界一になってみて味わう悔しさは、ある。

世界一になっても打ち込んできた競技が

世間には認知さえされてなかったことが、

自分は悔しかったのである。

悔しかったのである。

悔しかったのである。

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