NFTで投資価値を生むべきもの

昨年から今年にかけてリトアニアのアレクサンドル・ソロキンという選手が100km、12時間走、24時間走の3種目で世界新記録を更新している。

でも、今のままだと過去のウルトラランナーの例にもれず、ソロキン選手が経済的により豊かになることには繋がらないんだろうなぁと感じてモヤモヤしてしまったので、じゃあどうやれば抜本的な改革が可能かを考えてみた。鍵になるのはブロックチェーンである。

まず、そもそも世界記録保持者はなぜ経済的な成功者にもなるべきかと私が思うかと言うと、もしそうでなければ競技そのものに夢がないと感じるからである。名誉だけで満足してしまう謙虚さが次の世代の憧れになるとはどうしても思えない。

で、陸上競技から派生したエンデュランス系スポーツに体験以外の価値を見出すとしたら、それは打ち出した記録そのものではないか

なら、例えば国際競技団体が正式に認定した記録を対象に、選手本人へNFTを発行するビジネスがあったらどうだろう。

ソロキン選手が樹立した『24時間走 319.614km』という世界記録の所有者であることを証明するNFTをソロキン選手から直に買いたいと思う人はすぐには現れないかもしれないが、もしもウサイン・ボルトが2009年のベルリン五輪で打ち出した『100m 9秒58』の世界記録のNFTが存在するのなら、ボルト本人から買いたいと思う富豪や企業はいるはずだし、50年前に他界したアベベのフルマラソン記録のNFTというものが、もしも存在していたなら、その資産価値は生前よりも上がっていたのではないかと思う。

ジャック・ドーシーが世界で初めて投稿したツイートのNFTだって3億円で落札される世の中なんだから。

要は、暗号通貨の技術を活用してマラソンの結果をアートにできたら…という発想です。

ゴッホが描いたひまわりとソロキン選手が打ち出した世界新記録の何が違う?

生身のひとりの人間が、限られた人生のなかで魂かけて生み出したもんだって意味じゃ、同じじゃねぇか。むしろ人間の偉業の証明という意味では、他のアートよりスポーツの方が分かりやすい。数字なんだから。

今や新作の絵画的なアートは生成系AIで簡単に生み出せるのだろうけど、生身の人間が死ぬ気で生きて証明した足跡は、AIには決して生み出すことが出来ないもののはずだ。

そして、その数字の背景にどのような人生があったのかを想像して味わえる教養のある人や企業が、投機のために本人からそのNFTを買って、鑑賞するなり、広告利用するなりすれば良いのではないだろうか。

このようなアイディアを実現させるためには、戦国時代に千利休が茶器や茶道に独自の方向性を生み出して時代の流れを変えたのと同じような歩みが必要なのだろうけど、今はそういう発想で新しいビジネスを模索してる人もチラホラいるので、常識に縛られずにこういう発想に共感してくれる人、いたらいいな。と

そんなことを考えてみた、今日この頃です。

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