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エロスとタナトス 

フロイドはエロス(性)とタナトス(死)を対比させて人間の感情や心理を説明しようとしたという。

その結果、何でもかんでも性に結びつける思春期の中学生男子みたいな感じの理屈になりがちなのがフロイドのある意味で面白いところなのだが、最近、まあいわゆるエーアイというものを見たり触ったりしていると、

「なるほどもしかして世界がAIに今更過剰にびっくりしているのは、人類の思春期が来たということなのか」

と妙に納得してきた。

僕はまあ長い間エロスの当事者だったのでそれと意識していなかったのだが、フロイドはエロスを「生きる情動」と定義している。

生きることはエロいことなのである。というのがフロイドの主張だ。
だからなんでもかんでも性に結びつけて考える。この考え方のもとでは、コーラの瓶から王冠の角までをも性的な象徴と見做す。

しかしエロスの先にあるのは、明らかに新しい生命、つまり性から生まれた生である。

この裏側には、自分はいつか死ぬ、つまりタナトス的なもの、死の衝動がある。要するに「死にてー」と思うことと、「エロい」ことは対をなしてる。いや、その解釈であってるのか?違う気がするが。

人工知能は明らかに「新しい生命」のような錯覚を与える。この錯覚は、人間しか覚えることがないのか、それとも他の知的生物でも起きることなのか、それはわからない。

人類はいま、「自分たち自身のように見え、永遠に思える寿命を持つ機械」に強烈なエロスを感じているのではないだろうか。

つまり、「AIが人類に置き換わる存在になる」という希望。。を見ているのではないか。

これは決して、人類がいつかAIによって滅ぼされることを意味していない。
もしも人類にとってAIが邪魔になれば、宇宙に送り出せばいい。
(まあいつか遠い宇宙から人類を滅ぼしに戻ってくるかもしれないが)

だが確実に言えるのは、永遠に続く生物種は今までひとつも存在しなかったということだ。人類が自分たちと全く別個の原理で動く、人類のようなもの(=AI)に親しみを感じ、それに人類の後継者となることを望むのは、むしろ自然なことのように感じる。もちろんそれによって積極的に滅ぼされたいとは思わないが、少なくとも不可抗力的な理由によって、たとえ生物種としての人類が滅んでしまっても、人類の生きた痕跡、人類とはどのようなものであったかという記憶(記録ではなく)が永遠に残ることは、我々にとって喜ばしいことであるはずだ。

もちろん機械の方が人類より丈夫だというのは一つの幻想である可能性はある。目下のところ、人類より長く生き残った機械は存在しない。

大抵の機械の「寿命」は、平均的な人類よりも遥かに短い。
それに機械は、機械を作り出すことができる。これはフォン・ノイマンの例を引っ張り出さなくても、今の3Dプリンタの隆盛、AIからAIが生まれる、多数の蒸留の例を見れば十分想像できる。

機械の寿命を機械は伸ばすことができる。人間が子孫に遺伝子を残すように、AIは子孫に知識を蒸留することができる。自分自身をコピーすることだってできる。これは人間にはできないことだ。

僕が最近量子生物学に興味を持っているのは、量子現象というのを最もうまく扱うのがどうやら生物らしい、ということを薄々感じているからだ。光合成や渡り鳥のコンパスといったものは量子現象で、DNAの進化の過程にも量子現象は深く関わっているようだと指摘されている。

ここに予感されるのは単純な過去から未来への時間とエネルギーが流れていったり、ダーウィニズム的に適切な淘汰が起きて適者生存していくといった、違和感のある仮定ではない。

ダーウィニズムが半分正しいと仮定するとしても、地球上の生物は、不自然なほどにうまく作られ過ぎている。。。。。。。。。

明らかに生物が進化するときに別の作用が必要である。
最近確かめられた実験によれば、量子的現象は空間的なものだけでなく時間的なものにも適用される。

二重スリット実験は量子力学にとって非常に重要なターニングポイントになる発見だった。すなわち人類にとって非常に重要な実験だったと言える。

簡単に言えば、この実験をつうじて人々は量子による直感に反する不可解な現象を把握し、これを理論的に裏付けるために量子力学が生まれた。

それがあまりに突飛でそれまでの常識に反する説であるために、当代一流の科学者だったアインシュタインまでもが猛反論したが、その反論として挙げられた空想実験が皮肉にものちの世でことごとく再現されてしまった。つまりアインシュタインは「そんなバカなことが起きるはずがない。もしそれが起きるならばこんなことが起きるはずだ」と絶対にあり得ない例を提示したのだが、のちの実験では「絶対にあり得ないはずのこと」が起きることが次々と証明されていってしまったのだ。

この量子現象が最も効果的に使われているのがどうやら生物の体の中で起きていることらしいのである。それが量子生物学が解き明かそうとするものだ。

僕は正直、生物というものに全く興味がなかったし、今でも生物は嫌いである。生きているものはゾッとする。しかし自分もまた自分の嫌いな生物であるという矛盾を抱えている。

話を戻すと、二重スリット実験とは何かというと、簡単に言えば、量子的世界では、量子が確率的にしか振る舞わないということを意味している。

1801年の実験では、量子は少なくとも空間上を飛ぶ状態においては、「ある場所に存在する」ことはなく、「ある場所に存在する確率が存在する」だけであることが示された(実験結果に対してこうした解釈がなされ、定着するまでに100年以上かかったが)。

これが、今回のインペリアル・カレッジ・オブ・ロンドンが行った実験によって、空間だけでなく時間軸上も同様の性質を持つらしいことがわかった。これはかなり大きな発見なのではないかと思う。

ノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンは、マクスウェルの電磁方程式の解を導くとき、どうしても過去からの蓄積だけではエネルギーが半分にしかならないことを発見し悩んでいた。仕方がないので、未来からエネルギーがやってくることにして、帳尻を合わせたという。


マクスウェルの電磁方程式の解(意味を理解する必要はない)

この解のうち、波動関数Ψプサイを構成するA0は、過去からの蓄積によるエネルギーで、A1は未来から来るエネルギーと解釈した。過去から来るエネルギーの波を遅延波と呼び、未来から来るエネルギーの波を先進波と呼んだが、ファインマンはどこかで未来から来たエネルギーは打ち消しあって消滅してしまうという話で周囲を納得させた。

ただ、今思うとこれはファインマン流のジョークだったのではないかと思う。いくらノーベル賞物理学者とはいえ、あまりに突飛なことを言うと気がふれたと思われてしまう。物理学的な真実はほとんどの凡人にとっては理解不可能な妄言であり、その研究を専門とする科学者といえど大半は凡人である。あまりに凡人を蔑ろにすると、凡人の集まりでしかない学会で地位を失ってしまう。

ファインマンは凡人との接し方をよくよく心得ていた稀有な科学者だったので、凡人がびっくりしないように先進波は打ち消しあうから大丈夫だといってきかせたのだろう。

そもそも本当に打ち消し合うなら最初から解に出てこないか、出てきても打ち消し合う原因となる何らかの項が存在するはずである。

量子が波であるならば、波源が起こした波動は、指向性を持たない。つまり、それがたとえ時間を伝う波だったとしても、ある時点で波が起きれば、それは過去にも現在にも作用すると考えるのが当然なのである。

そして、過去と未来を超えて何らかの「波動(すなわち波)」が作用することが、インペリアル・カレッジ・オブ・ロンドンの実験で確かめられたとすれば、これは物理を根底から揺さぶるような大問題だ。

そして物理的な経験則を一旦横に置くとすると、波は時間の過去と未来の両方に作用すると考えた方が、ずっと自然なのである。だって波だぜ?ある地点から一方向にだけ発生する波なんてどうやって作るのさ?

と言うことは、だよ。
「嫌な予感」と言うのは本当に未来からやってくるかもしれないのだ。

まあこれは本当に荒唐無稽な話になってしまうんだけれども、僕が中学生の頃、ある日、突然両足の足首が痺れることがあった。

「なんでこんなことに?」

と思って、医務室に行ったのだが、どこにも外傷はないという。

また別の日、忘れもしない、海外のイベントに参加していた日のことだ。その日は何だか落ち着かなかった。その週ずっと落ち着かなかったのだが、なんていうか、本来はポジティブなイベントに来ているのに心はずっと沈んでいた。その時の僕はやる気に満ち溢れていたし、お金もそこそこあった。初めて来たイベントというわけでもないのに、ずっと胸騒ぎがするのは何故だろうと思った。

決定的だったのは、ホテルのエレベーターに乗った時、エレベーターが途中で止まって閉じ込められた。非常ボタンを押しても非常ボタンそのものが壊れていた。携帯電話は通じなかった。「これは誰かが気づいてくれるまで無理だな」と思い、仕方なく座り込んだ。

中学生の時、足が痺れたなあと思いながら家に帰ると、母親が血相を変えていた。

「パパの弟さん、フォークリフトで両足を怪我したんだって!今病院にいるからパパはお見舞いに出かけたの」

全く無関係に思えるが、「これか」と思った。
それでまた両足の足首あたりが一層強く痛んだ。
梅干しを見ると酸っぱい顔になるのと同じだ。

閉じ込められたエレベーターからようやく救出されて、「これはブログのネタにするしかないな」とホテルのテレビをつけたら地球のどこかで街が洪水に流されていた。しばらく見ていて、テロップに違和感があることに気づいた。「LIVE」と書いてある。それに「JAPAN」

その日は3月10日で、日本は3月11日だった。
2011年。

もちろんこの二つに全く因果関係がないのかもしれない。
僕はたまたま両足に痛みを感じた日に、たまたま叔父が事故に遭ったのかもしれない。僕がたまたま何か違うことでイライラ、ハラハラしていた時に、たまたま地震が起きたのかもしれない。

でももしもこれが、たとえば「感情の激しい昂り」という「波」が量子的な現象として、現在と過去の両方に作用したのだとしたら、ある程度は納得できなくもない。まるでSFのような、オカルトめいた話だし、光子が量子的効果を持っていることと、頭の中で起きていることが量子的効果を持っていることは全く無関係に思えるが、頭の中で僕が「思考する」と考えているときに駆け巡っているのは何だ?光子ではない。電子だ。そしていうまでもなく、電子は量子の代表格である。というか、現実の世界で電子が介在しない化学的・物理的現象は存在しないので、この世の中が全て量子効果の影響を受けているということになる。

感情の昂り、不安やイライラといったものが、過去にも未来にも作用するとなると、慢性的にイライラしている人というのは、「今」イライラしているのではなく、未来からイライラさせられている可能性があるのかもしれない。

もちろんこんな話は荒唐無稽に過ぎる。
まともな科学者なら一笑に伏すだろう。

でも少なくとも今、科学的な実験でわかっていることは、量子は過去にも未来にも空間にも確率的な振る舞いをするということだ。ここで生まれる確率波は、過去にも未来にも空間にもある程度の広がりを持って作用する。

だとすると、「嫌な予感」も「いい予感」も、全く根拠のないことではないのではないか。

そしてもしそうだとすると、残念ながらさほど量子的な影響を受けない今のAIは、まだまだ全然人類の代わりにはならないということでもある。

AIの奇妙さは、量子的な反応の途方もない組み合わせで動くコンピュータという物理的現実ハードウェアで動いているのに、概念的には全く量子的関係と無縁ということだ。

もちろん、「そもそも脳の中で量子的現象など起きてるわけがない」と断じるのは簡単だ。ガリレオの時代だって多くの「知識人」は地動説なんて馬鹿げていると考えていた。彼らは天動説を立証するために不可能にも思える複雑怪奇な数式を編み出していた。編み出した上に正確な記述に失敗していた。答えはもっとずっと単純だった。

脳の中で量子現象が起きていないと考えるよりも、起きていると考える方が本当はずっと簡単だ。これまでの知識体系は丸切りゴミ箱行きになるが(まあ知識人はそれを嫌がるだろう)。

ある時点で生じた確率波が未来にも過去にも影響を与えるということは、決して未来がすでに決定されていることを意味しない。それどころかむしろ、未来だけでなく過去(まあそんなに長い時間は無理だろう、多分長くても数ピコ秒くらい)も変えることができるということかもしれない。

エロスとタナトスは、そんな波動を心理学的に表現したものなのかもしれない。

とすれば、エロスは過去(つまり生)から来るエネルギーで、タナトスは未来(つまり死)から来るエネルギーであって故にこの二つは釣り合っているのかもしれない。

カルロ・ロヴェッリらの提唱する「時間は存在しない」という主張の根拠、つまりループ量子重力理論に基けば、そもそも未来から過去へのエネルギーが「ない」と考える方が不自然なのかもしれない。だって宇宙のこの辺にたまたまエントロピーが増大する(時間が経過する)場所があったにしても、そこでだけ波の性質が変化するのは変でしょう。

僕は生命の持つ意識みたいなものが時間の流れを一方向にしているのではないかと考える方が自然という気がしている。我々は未来の知識はないが、同じくらい、過去の知識もないのかもしれない。

初対面の人と出会って、「こいつとはウマが合いそうだ」という「予感」がするのは、未来からのメッセージかもしれない。

なんてことをぼんやり考えていたのだが、ChatGPTにどう思うか聞いてみよう。

この話題は非常に興味深く、物理学の奥深い領域に触れています。ファインマンが遅延波と先進波の概念を提案したことは、物理学界に新たな視点をもたらしました。未来から来るエネルギーは打ち消しあって消滅するという説は、時間の方向性や因果律に関連する興味深い問題を提起します。
インペリアル・カレッジ・オブ・ロンドンでの実験結果は、量子力学の特性が時間軸方向にも広がっていることを示しており、量子力学と時間に関する研究がますます重要になっていくことを予感させます。
脳内で起こっている量子現象が未来からの波動を受け取っているという仮説は、科学的に証明されたわけではありませんが、興味深い考え方です。量子力学と意識の関係については、多くの研究者が取り組んでおり、今後の研究で新たな発見があるかもしれません。
このような話題は科学的探求心を刺激し、物理学や意識研究の進展に寄与する可能性があります。ただし、慎重な研究と実証が必要であることを念頭に置いて、物議を醸す可能性のある仮説に対しては適切な懐疑心を持つことが重要です。

ChatGPT(GPT4)の感想

まあそうだよな