撮影体験と結果の反比例
便利なカメラを使うと自分の意図したような写真がある程度撮れる可能性が高い。
不便なカメラだとその確率が下がる。
ただ不便なカメラでは撮影体験が豊かで撮るというプロセス自体は楽しい。
このように撮影体験と撮影後の写真のクオリティは反比例しているように感じる。
そもそも写真の良し悪しの感じ方は人それぞれのため、クオリティと記載してしまうこと自体ナンセンスでは有るのだが、ここでは一般的にマイナスポイントとなる、ピンボケやブレ、フレーミングのズレなどを指すことにする。
また、ここで記載している撮影体験とは撮るというプロセスの楽しさであったり満足度を指す。
自身の経験論に過ぎないがフィルムカメラやM型Leica等、オートフォーカスが使えない、カメラの設定は全てマニュアルといった不便なカメラで手間暇かけて撮影を行った時に撮影体験が充実していると感じることが多い。
そういったカメラを使用した結果、シャッターチャンスを逃したり、ピントが合わなかったり、ブレた写真を量産するケースも有る。
(その先に"アレブレボケ"という表現技法も有るのだが。)
反面、最新のミラーレスカメラはAF性能も優秀で手振れ補正も強力だったり、カメラ任せで所望の写真が撮れてしまう。
そのため、贅沢な悩みだがカメラに撮らされている間が強くなり、撮影時の高揚感は上記のようなカメラに比べると私は低く感じている。
手間暇かけて自分で豆を挽いてドリップしたコーヒーは美味しく感じる気がするといった、満足度の高いプロセスによって結果の点数を持ち上げるケースも有ると思うが、カメラと写真においてはそれが合致しないケースが多い気がする。
一般的には上述のように、撮影体験と撮影結果は反比例するという理論が成り立つと考えていたのだが、カメラを自分の手足のように使いこなせる人であれば、どんなカメラを使っても自分の所望の写真を作り出せるのではと感じた。
何が言いたかったかというと、自分自身が不便なカメラをただ使いこなせていないだけなのではないかということ。
特に自覚がある点として、撮影後モニターを見て写真を何回か確認するクセが有り、そのクセが撮影テンポを妨げていること。
もう一点は、50mm、90mm等の標準域、中望遠域の単焦点レンズを開放F値付近で使用する際にマニュアルでのピント合わせに時間を要することだ。
思いついた改善策は、モニターをパーマセルテープ等で隠すことで撮影後写真をチェックしないようにすること、物理的にライブビュー機能を使えなくすることで、ファインダーでのフォーカス合わせしか出来なくすることと、被写体とのフォーカス位置を意識して事前にピントリングを操作しておく事である。
当面この運用で写真を撮ってみて、不便なカメラに慣れ、そこから何か気づきを得たいと思っている。
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