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シアトルに旅に出た理由

10年前、2013年、ちょうど30歳になる年だった、かのCoachella FestivalにてあのTHE POSTAL SERVICEが復活するとの報を聞いた。おまけに愛してやまないフランスのロックバンドPHOENIXがヘッドライナーだという。

Coachella 2013

THE POSTAL SERVICEはシアトルのインディーロックバンドDeath Cab For Cutie(以下DCFC、デスキャブ)のフロントマン、ベンジャミン・ギバードのサイドプロジェクトとして結成されたエレクトロポップグループで、リリース当時はほとんどライブをすることもなかった。Coachella2013に出演した後、EU・アメリカをツアーした。以前書いていたeverything will changeというブログはBrand new colonyという曲の一節で、紛れもなくこの10周年ツアーの模様を納めたDVDを観て感動してブログのタイトルにした。

当時の僕は某巨大ゲーム会社に出向する無名UIデザイナーとして毎週イベントのバナーやらに追われる日々を送り、毎月を生き抜くので精一杯だった。DCFCはサマソニで現奥さんと何度も一緒に見ていたし、当時一緒に見ていた"the OC"というドラマで主人公のセスがお気に入りのバンドということで作品の中で何度も使われていたり、ライブシーンで出演していたのもあり、DCFCは共通のフェイバリットだった。冗談まじりにコーチェラ行っちゃうかー?と話していたけど、まぁ実現できるわけもなく月日は流れていった。その後悔がずっと残っていた。そこはかとなくぼんやりといつかPHOENIXをパリで、デスキャブをシアトルで見たい。そんなことを夢見るようになった。それからあっという間に10年が経った。

翌年結婚をし次の年に子供が生まれてからは状況は一気に変わり、海外なんて夢のまた夢の必死に子育てと仕事に格闘する日々が続いた。
転職をしてようやく受託のデザインができる環境になり、自分の家庭とキャリアを確立することで精一杯。フジロックにすら行けない。だけどもemoと言われた90年代後半から00年代中期まで続いたムーブメントは自分の人間形成に大きく影響していて、その中でもDeath cab for cutieというバンドは特別な存在になっていった。その間もキャリアを更新し続け、"Kintsugi"、"Thank you for today"、"asphalt medow"と良作を作り続けている。
ようやく4年ぶりに行った2019年のフジロック、デスキャブとしては初のフジ、おまけにその前はEmo legend "American Football"というエモ好きなら涎が出るほど行きたいお膳立てが揃いながら、結末は過去最大とも言っても良い豪雨の中を8時間以上耐え忍んだ中でのライブだった。
あれを超えるキツい現場ってあるのだろうかと今でも思う。

前置きが長くなったけど
2003年にリリースされた
DCFCの「Transatlanticism」、そして THE POSTAL SERVICEの「Give up」、2枚の金字塔というベきアルバムの20周年を記念するツアーが行われるという話が飛び込んできたのは、昨年の12月だった。

二つのアルバムは大学時代に友人に教えてもらい、emoが好きだった界隈の友人で聴いてないやつはいないほどの共通言語である。05年にデスキャブがサマソニに出た時は友人達10人くらいで観に行ったのが懐かしい。

先輩方に聞きたいけど40にもなると、自分の好きなものがどんどん失われていくような危機感がある。気づけば自分の好きなロックバンドはどんどん解散や活動を止めていく。20年続くバンドなど本当に一握りだ。
グループでクリエイティブに活動するということはそれほど難しい。
勿論新しく好きになる音楽もある。ただあんなに夢中だった救われてきた音楽を越える音楽に僕はもう出会えないんだろうか。バンドという形態も少なくなり、音楽の聴き方や楽しみ方も代わり、コンテンツはすべての時間を奪い合う。これを書いているだけでも涙が出てくる。それでも音楽というクリエイティブの豊かさを僕は信じている。

だから多分これを逃したら、もう一生THE POSTAL SERVICEには会えないんだろうな。そんな気がした。
わからないけど。もしかしたらSMASHやCreative manの誰かが頑張って招聘してくれるのかもしれない。けどそんな気がしたのだ。
でもどうせなら彼らの地元である、シアトルに行きたいというあの時からぼんやりと思っていたことを実行するのは今しかない。メジャーリーグはちょうどシーズンが終わってるけど、プレーオフに出れればもしかしたら見れるかもしれない。(結果見れなかったけど)
日本では三連休に当たるこの日なら休みは取りやすい。
NYやLAの方がなぜかチケットが安いし、観光も楽しいだろう。けど自分はシアトルに行く。
「We are Death cab for cutie from Seattle!」
ベンがライブの一曲目が終わるといつも言っていた、イチローが16年プレーしたあの街に行くのだ。30代の最後の置き土産として、それを目標に頑張ってみよう。そんな想いで、昨年末泊まっていたホテルでサウナに入った後、清水から飛び降りるような気持ちでTiket masterで180ドルのチケットを買った。

2007年にNYに1人で行ってから、16年ぶりのアメリカである。新婚旅行でフランスに行ってから、9年が過ぎた。英語も大して話せない。海外に行く感覚が久々過ぎて億劫になる。サーチャージとホテルが何せ高く、Googleフライトのチケットとの睨めっこが続く。そんなことでまごついていたけど、「1人でやったことが一番残る。」「自分の行きたい場所は自分で作れ。」最後にあの人の言葉が背中を押してくれた。

時差を含め5日だけ時間をくださいと、奥さんに許可をもらい、エアトリでデルタ航空のチケットとホテルを押さえたのはもう2週間前に迫っていた。ESTAの申請とパッキングのリストをまとめ、スケジュールを調整しても追いかけてくる仕事をヤケクソで片付け、羽田空港のどこでも仕事ができる恩恵を享受しギリギリまで仕事をしなければならなかった自分のできなさを呪いながら、なんとか羽田を飛び立った。

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