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ナイトクラブは、アナーキーであり、政治的である

序論

本noteでは、ナイトクラブを政治的なモデル空間として分析することで、経済力が権力に転換される様子を描き出すことを目的とする。そのために、まずナイトクラブの反権力性、アナーキー性を明らかにする。次に、その既存の権力関係が無効化されているかのように演出された、政治的にまっさらな空間でどのように権力関係が生まれるのかを解き明かす。ここでは、ゴフマンの「役割」やローラマルヴィの「まなざし」、さらにはパノプティコンなどの概念を援用して議論を進める。ナイトクラブの定義は「東京におけるナイトライフ観光の特性」[i] に準拠する。
先行研究として、アシュリ―ミアーズの『グローバル・パーティーサーキットの社会学』[ii] がある。その研究は、特に筆者の実地調査や多くの人のインタビューを活用して、ナイトクラブのVIPを男性の顕示的消費の場としてとらえ、その場で女性が果たす役割と彼女たちの存在が男性の「ステータス」に転換される様について分析している。本noteでは、ナイトクラブの空間配置に特に注目して分析を進めたい。
本noteの意義は、大きく三点あると考えている。まず一つ目に、パノプティコン的構造が、国家のような政治的権力を持つ主体が運営する、学校や刑務所以外の場所でも利用されているという一例を示すことである。二つ目には、ローラマルヴィが指摘した、映画における男性から女性への窃視的なまなざしというのは映画以外の場所についても同様に存在すると主張することである。三つ目には、性的差異が権力的関係を生み出し、そしてその権力は性的関係として現れることを強調することで、男女平等へ進む現代社会の推進力を増すことに寄与できる可能性があることである。

本論

第一部

まず、ナイトクラブを政治的空間としてモデル化するために、その反権力性とアナーキー性を指摘する。具体的には、ナイトクラブの一般的呼称、その位置、客の価格差別方法、中で流れる音楽のジャンルの四点に注目する。
一点目に、ナイトクラブは一般的に「箱」と呼ばれることが多い。例えば、収容人数の多いナイトクラブは「大形の箱」と喧伝されるし、音響設備が上等なナイトクラブは「音箱」と呼ばれる一方で、遊び目的の客が多いナイトクラブは「チャラ箱」と呼ばれる。そして、呼称のみならず、実際にナイトクラブは外観として箱のような形状をしていることが多い。ナイトクラブは、外部から中の様子がうかがい知れない、巨大な「ブラックボックス」どして立地する。マーケティングアナリストの三浦展は、箱のような建築物についてこのように述べる。「空間に対する無関心はおそらく他者(社会)に対する無関心であり、他者(社会)からの疎外感であり、また他者への敵意でもあろう。」(強調太字は筆者による)[iii] つまりナイトクラブは、その外観とそれによる呼称をもって、社会への敵意あるいは反権力性を持っていると言えるのではないだろうか。
二点目に、ナイトクラブは基本的に地下にある。例えば渋谷にあるナイトクラブは、全てのナイトクラブが、入場すると一度地下に行く造りになっているか、地下にフロアがある。地下にあるというのは、その外部との隔絶性から、前述の「箱」と性質を一にしていると言えないだろうか。また、「地下経済」「地下組織」などの単語から分かるように、地下というのはその語の内に反社会性や反権力性を孕んでいる。
三点目に、いくつかのナイトクラブは、外国籍の人に対して入場料を割引している。例えば、渋谷道玄坂にあるナイトクラブ「Laurel Tokyo」は、深夜一時までの入場については、性別関係なく外国籍の人の入場料を無料にするイベントを開催している。[iv] 現代において、柄谷が指摘するように、ネーションとステートは一体不可分なものである。[v] 箱であり地下にある、外部と隔絶された空間の外国人の割合を日本国のそれより増やすのは、その空間内においてネーションを攪乱し、ステートの影響力を弱めようとすることである。
四点目に、ナイトクラブではHip-Hop とテクノミュージックの二ジャンルが主に流れる。この二つとも、反社会性と反権力性を持つものである。まずHip-Hopについては、歌詞が反社会的である[vi] のみならず、アーティスト自身が逮捕されることが少なくない。[vii] 次にテクノミュージックについては、この音楽ジャンルはドイツにおいて地下運動として発生し発展したものである。[viii]
以上四点から分かる通り、ナイトクラブは反社会的あるいは反権力的であり、その空間に足を踏み入れその中にいるときには、外では感じないアナーキーを体感する。このような空間の中だからこそ、続いて議論するような権力関係がむき出しのものとしてひしひしと感じられる。またそもそも既存の権力を無効化しているかのように演出することが新たにナイトクラブの中で疑似的権力関係を発生させることを助けているという側面もある。

第二部

以上、本noteの前提となるナイトクラブのアナーキー性について明らかにした。ここから、そのアナーキーな空間の上にどのように権力関係が作られるかを論じる。手順としては、まずナイトクラブの空間設計を説明する。次に、店内において、セキュリティ(=運営者)が「見せかけの」権力者として振舞っていることを説明する。そして、以上の二点を利用しながら、VIP席の男性客とフロアの女性客の間に非対称的関係が生み出されていく様を、「役割」「まなざし」、「パノプティコン」等の概念を用いて論じる。
ここでの議論の前提として、店内の配置を図示したい。[ix]
このように、主にナイトクラブは二フロアに分かれている。前方にDJブースとその横のダンサーの踊るステージがあり、そこに対面する形でフロアが広がっており、一般客はここで音楽を聴いたり踊ったりして楽しむ。そして、後述するように、VIP席の配置が本レポートの議論において重要である。VIP席はその配置から二種類に大別することができる。1つは、フロアと同じ階にあるもので、もう一つはフロアの上の階に位置しているものである。
はじめに、店内において、運営者の「顔」であるセキュリティが見かけ上権力を持っているように振舞っていることと、その見かけ上の権力を利用する形でVIP席の客がフロアの客の上位に立つことを印象付けている構造を解き明かす。まず取り上げるのは、入店の際に行われる「儀式」である。一般客は入店の際にセキュリティからボディチェックを受ける。これは、薬物や凶器となりうるものを持ち込ませないようにするためという名目である。ここで特に注目したい点が二点ある。一点目に、その名目上の意義に対する疑問である。米国と違い日本では一般市民に銃の携帯は基本的に不可能である。二点目に、実効性の疑問である。ここでのボディチェックは、首元からくるぶしまで、念入りに体を触るように行われる。その一方でカバンの中身はさして覗かれない。薬物の持ち込みを阻むためには比重が逆にした方がいいのではないか。そのような入店の際のボディーチェックという「儀式」を踏まえて次に取り上げたいのは、店内でのセキュリティの振る舞いである。彼らは店内を巡回しながら、不審な動きをした客を注意したり、場合によっては喧嘩をした客を外へ連れ出すこともある。ここで注目したいのは、これらの行動が専ら身体的な動きのみをもって行われるということである。店内は大音量の音楽が会話を邪魔するため、口頭での注意というのは存在しないのだ。最後に取り上げたいのは、セキュリティの、店内でのもう一つの仕事である。それは、VIP席の保護である。先述の通り、VIP席には、フロアと同じ階にあるタイプのものもある。そのような席の中には、明確にフロアとVIP席の境界が定められていないことがある。その場合、セキュリティはVIP席の周囲を囲うように、外側を向いて立つ。そして、故意か否かに関せず、近づいたフロアの客を物理的に押し返す。以上ナイトクラブ店内でのセキュリティの仕事を列挙したが、これらについてまとめて分析を加えたいと思う。まず入り口のボディチェックで、セキュリティ(=運営)が客の身体を検査すること、暴力の種となる凶器の持ち込みを許さないことを示す。そして、店内においてセキュリティが客に対して「実力行使」を行うことで、「暴力」が運営の側に独占されているということが印象付けられる。最後に、VIP席を守るという形で、問題行動をしていない客に対しても身体的接触を伴う注意がされることで、客と運営者の間の非対称な関係が印象付けられる。そもそもナイトクラブは、一見アナーキーな演出をしたうえで、その運営者が暴力を独占するのだという「イデオロギー」があると考えられる。ボディチェックはそのイデオロギーを確認するための象徴的行為であり、言わば「儀式」として機能している。ここでのイデオロギーの概念はメイヤスーに準拠している。[x]ウェーバーは国家の本質を暴力の独占だとした[xi] が、ナイトクラブのアナーキー性の演出は、ナイトクラブ運営が疑似的な国家権力として振舞うための下準備とさえ言える。そしてそのように独占された暴力は、クラブ内において巡回するセキュリティにおいて警察権力になぞらえられ、また、フロアでの喧嘩において絶対的仲裁者として振舞うときには司法権にもなぞらえられる。本レポートの議論の上で最も重要なのは、その「警察権」が、VIP席の保護のために行使されるということである。このことによって、一般客はVIP席に座る人々を、単に自分より高い金を払っている人、つまり経済的に上位な人間とみなすだけでなく、権力によって保護される、権力を行使する側の人間つまり政治的に上位な人間だとみなすようになるのである。
続いて、二階のVIP席からのフロアの女性客に対する視線に注目する。まず、先述の通り、VIP席はフロアと同じ階だけでなく、その上の階にも設けられることが多く、その場合ほとんどが、フロア後方に位置する。ここで、フロアの観客は基本的に前方のDJブースの方向を向いていることに留意したい。つまり、VIP席の客は、フロアに対して一方公的な視線を向けているのである。例えば新宿歌舞伎町のナイトクラブ「WARP」の二階VIP席は、、フロア方向に対してマジックミラーのような加工がされた半透明の板が建てつけられている。これは上記の視線の窃視性を強める役割を担っていると言えるだろう。
The cinema offers a number of possible pleasures. One is scopophilia. There are circumstances in which looking itself is a source of pleasure(中略). At the extreme, it can become fixated into a perversion, producing obsessive voyeurs and Peeping Toms, whose only sexual satisfaction can come from watching, in an active controlling sense, an objectified other.[xii] [xiii]
ナイトクラブは、二階のVIPに対して、ローラマルヴィの言う「スコポフォリックな快楽」を提供している。次に、フロアの男性客の視線に着目し、ゴッフマンの『行為と演技』を参照しながら、フロアの女性が自らを性的対象化する過程を説明する。DJブースのヨコのステージでは、深夜になり盛り上がりが佳境を迎えるころになると、店に雇われたパフォーマーが音楽に合わせた踊りを踊る。ここで女性パフォーマーは露出の多い服装で、性的魅力を堅持するような踊りを行う。ナイトクラブは上述の定義から、ストリップではないのだが、客からチップを受け取り、より過激なパフォーマンスを行うこともある。ゴッフマンは
「ある行為主体が特定の役目を演じているとき、彼は自分を観察する人びとに、彼らを前にしてつくりだされた印象が真面目に受け容れられることを暗黙のうちに求めている。」[xiv] と述べるが、ここでの「つくりだされた印象」とは、性的魅力にあふれた女性としての印象である。パフォーマーには男性もいるのだが、その登場は稀であり、あったとしても、煙を噴出させる小道具などで観客を沸かせるというパフォーマンスをすることが多く、女性パフォーマーとは担っている役割が異なっていると言える。フロア内には、パフォーマー用のステージとは別で、一般客用のステージが用意されていることがある。大抵の場合そのステージは女性専用である。あるいは、DJブース横のステージに、店側の裁量で女性客が上げられることもある。ここにおいて、クラブ内の女性客全体が、ナイトクラブという舞台装置の中での、上記のような印象を男性客に与えることを目的とする「パフォーマー」となるのではないだろうか。つまり、フロアの男性客からステージ上のプロのパフォーマーに向けられていた視線を、女性一般客も浴びることとなるのだ。ローラマルヴィは「ショーガール」が、映画の物語の中の男性が女性に向ける視線と、映画の観客が映画の中の女性に向ける視線を統合する役割を果たしていると指摘している。ナイトクラブにおいて、女性パフォーマーはまず男性客から自身らへの視線を生み出し、それを女性客に対しても向けさせる役割を果たしていると言えるのではないだろうか。ショーガールとクラブのパフォーマーが表層的に似通った仕事をしているのも、偶然の一致ではないはずだ。さらに重要となるのが、本段落冒頭で議論した、二階席のVIPからの窃視的な視線である。この窃視的な視線は、客にスコポフォリックな快楽をもたらすのみならず、視線の非対称性としてナイトクラブをパノプティコン的な構造としているのではないだろうか。内田隆三は著書『ミシェル・フーコー』の中で、パノプティコンの構造について以下のように説明する。
(前略)次に、パノプティコンにおける視線の非対称性という問題がある。囚人には中央にある監視塔の内部が見えない。だが、囚人は中央監視塔からたえずみられている可能性があり、彼はそのことを知らないわけにはいかない。彼はこの「確証しえない視線」によって、間断なく、一方的に見られる存在に変えられるのである。この装置のなかで、囚人は自分の外面的な身体を中央監視塔にある権力の目によってあますところなく奪い取られ、その存在を内面性の次元に還元される。彼はこの内面の主体としてはじめて自己自身に重なり合うことができるのである。だが、この事故の意識は中央監視塔にある権力への隷属関係を通して与えられている。[xv]
囚人とはフロアにいる女性客であり、中央監視塔とは二階VIP席にいる男性客である。そしてその視線を内面化することで、彼女たちは店内で常に性的な魅力を振りまくパフォーマーとして演じ続けることとなる。ここで再びゴッフマンを参照したい。
第一に〈舞台装置 setting〉がある。人間の行為の流れがそのうちで、それに向って演じられる背景や小道具となっている家具・装飾品・物理的配置・その他の背景になる品々を福得る。(中略)自分のパフォーマンスの一部としてある特定の舞台装置を使用しようとする人びとは、適当な位置を占めるまでは行為を開始することができず、そこを去るときにはパフォーマンスを終息させなくてはならないのである。[xvi]
客からの視線が内面化されている以上、女性客にとって、手洗い所などのごく一部の例外を除いて、ナイトクラブ全体が「舞台装置」として機能する。ナイトクラブの空間構造によって女性客は、VIPとの間に疑似的な権力関係が生まれ、かつ、性的魅力を発露する「パフォーマー」として振舞うようになる。
本段落では、以上二段落で説明した二つの要素、つまり一般客とVIP席の客との間の権力関係と、女性客がパフォーマーとしての役割を演じること、が具体的にどのように表出するのかを論じる。VIP席に着いた客の遊び方は、自分の好みの女性客を見つけると、彼女を席に呼びつけて一緒に飲酒に興じるというのが基本である。順序としては、まずVIP客がクラブのスタッフに、呼びつけたい女性が誰なのかを伝える。するとそのスタッフがフロアに向かい、その女性客に対して、VIP卓につかないかと尋ねる。このような具合だ。実際に卓についたときに行われるのは、実質的に接待であり、風営法で管轄される所謂キャバクラとほとんど同じような「サービス」が提供されている。先述のように、女性客は、クラブ運営(=VIP)との非対称な権力関係を意識させられ、クラブの構造を巧みに利用し「パフォーマー」となっている。したがって、スタッフから声をかけられたときに断るという選択肢は実質的に存在せず、また、テーブルに着いた時には、あたかも「プロ」かのような「サービス」を提供する。当然ながら、VIP席の客は、クラブに対しては金を払っているが、席に着いた女性客に対してそれは還元されない。VIP客から見た時に実質的に所謂「キャバクラ」と同じサービスが提供されているのにもかかわらず、女性客に対してはそのような店に勤める女性とは違い一切の経済的インセンティブは存在しない。この差こそが、本レポートで議論してきたような、ナイトクラブ内の様々な「仕掛け」が生み出したものなのではないだろうか。

結論

本レポートでは、ナイトクラブを例に、経済力がその店内の様々な仕掛けによって如何に疑似的な権力に転換されるかを論じた。その過程では、疑似的な国家権力が装われたり、パノプティコン的構造を利用して生権力的に客の行動を規定したりする。つまり、クラブは「政治的空間」だと言えるだろう。VIP利用者には、エグジット済みの元経営者や個人投資家など、日常的には権力を持っていないものの経済力に恵まれた人が多いというのも、偶然ではない。また、特にこれらが男女の性的差異を強調する形で生み出され、また表出することも、昨今のジェンダーバイアス正常化の流れの中で、参考になる部分もあるのではないか。

追記

調査したいことが2点あります。
・客層の調査
・ナイトクラブのVIPの席料と、それと同様な接待を提供する業種での料金の差額
筆者の仮説としては、ナイトクラブのVIPの客層は、トレーダーやエグジット起業家など、その莫大な経済力に比して政治的地位を与かっていない(後者に関しては失ったと言ってもよいか)人が中心である。また、二つ目に関しては、ラウンジやキャバクラよりは低い料金なのではないかと考える。それはもちろんVIP卓につく女性がプロではないということもあるが、本稿での議論を踏まえると、その価格差こそがナイトクラブの付加価値であり、その付加価値を生み出すための仕組みが上記のような、クラブの空間的配置や従業員の業務等々であるというわけである。


[i] 「東京におけるナイトライフ観光の特性」 池田真利子、卯田卓矢、磯野巧、杉本興運、太田慧、小池拓矢、飯塚遼 地理空間 2018年
[ii] 『グローバル・パーティーサーキットの社会学』Ashley Mears 松本裕訳 みすず書房 2022年
[iii] 『新東京風景論』三浦展 NHKブックス 2014年 23須 最終段落
[iv] Laurel Tokyo 公式ホームページ 2022年8月6日閲覧 https://laureltokyo.jp/system/
[v] 『世界共和国へ』柄谷行人 岩波新書 2006年
[vi] 1 in 3 Hit Songs Mentions Substance Abuse, Smoking - ABC News (go.com) 2022年8月6日閲覧
[vii] BBC 米ラッパーYoung Thug逮捕のニュース。 2022年8月7日閲覧 https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-61390585
[viii] 「アンダーグラウンドからスタートアップへ」池田真利子 日本地理学会 2018年
[ix] CLUBPORT 2022年8月6日公式ホームページより https://club-port.com/warp

  • [x] [x] 『家族制共同体の理論』 C・メイヤスー 川田順造、原口武彦訳 筑摩書房 1977年118須 4-6行『職業としての政治』Max Weber 脇圭平訳 岩波文庫 1980年 20須

[xi] 『職業としての政治』Max Weber 脇圭平訳 岩波文庫 1980年 20須
[xii] “Visual Pleasure and Narrative Story” Laura Mulvey 1975年
[xiii] 筆者注:Peeping Tom は、映画“Peeping Tom”に登場する、女性の表情をカメラに収めることに以上に執着し、最終的に死の間際の表情をも収めようとするようになる偏執狂の男性 ”Peeping Tom” を描いた邦題「血を吸うカメラ」を受けたものである。
[xiv] 『行為と演技』Erving Goffman 石黒毅訳 誠信書房 1974年 19須
[xv] 『ミシェル・フーコー』 内田隆三 講談社学術文庫 2020年 268須 2-5行
[xvi] 行為と演技』Erving Goffman 石黒毅訳 誠信書房 1974年 25須

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