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ルソーの社会契約論を読んでみて思うこと


学生時代、授業で指定されてルソーの社会契約論の本を購入した。

当時は授業のためだけになんとなく読んだ記憶しかないが、自宅本棚で先日発掘し、パラパラ見てみたらすごく面白くて驚いた。

法学部の授業でこの本をやる意味が今になってようやく分かった。

10年前の私にはさっぱり分からなかったが、この本は「人間社会における法律の必要性」を実にわかりやすく教えてくれる本だったのだ。

地球が法律を作ったわけではなく、人間が、ある意味で勝手に、作ったのが法律というものである。

一生物としての人間が法律を守る必要性について、ここ最近考えていた。

人がいるだけでは争いは生まれない。
「所有権」と言う概念が生まれたから、争いもまた生まれたのだ。

サピエンス全史でも触れられていたが、
遊動的生活の頃は人間同士の争いはほぼなく、定住し所有権という概念が生まれたからこそ争いが始まった。

ならば、所有権なんて概念なんてない方が良いのではと少し思った。
動物のように、今生きるのに必要なものを必要な分だけ使えばいいのでは、と。

しかし、この本の下記第一編終わりの一節で腑に落ちた。

この基本的契約は、(一部省略、)人間の間にありうる肉体的不平等のようなもののかわりに、道徳上および法律上の平等をおきかえるものだということ、また、人間は体力や、精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである。

社会契約論(ルソー著/桑原武夫・前川貞次郎訳/岩波文庫)より


人間は生物的には決して強くはない。
ましてや、一人一人の身体的特徴は決して平等とは言えない。

人間が1人で自然の中で生きていけるかと聞かれたら大いに疑問だろう。

そんな人間が、一人一人違う特徴を持った人間が、安心して生存していくために作り出したのが「法律」なのである。
またそれが、この本でいう「社会契約」なのだ。

生物的には不平等なそれぞれの人間が、なるべく皆平等に安心して生きて行くための方法。

そんな人間の生きていくための知恵と工夫の方法こそが法律なのだ。

10年ぶりに読んだこの本で、そんな風に考えた今日この頃である。

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