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【10選】2023年に読んだ本

読んだ時期を(○月)という形で示しています。


①『愛するということ』/エーリッヒ・フロム(1月)

1冊目はエーリッヒ・フロムの『愛するということ』。

「愛は技術である」という主張が第一章から展開された後、その習得に向けて「理論」と「習練」という二つの観点から論じられています。

ページをめくる度に、フロムの厳しくも人間愛に満ちた言葉が出てきて思わずノートに書き写してしまうほど好印象でした。

他人を「信じる」ことは、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。

(第四章 愛の習練)

②『スピノザ―読む人の肖像』/國分功一郎(1月)

難しい本ではありましたが、デカルトと同じ17世紀にあって独特の哲学を展開したオランダの哲学者・スピノザに強く惹かれました。

今から考えると、「真理であることが確かになるためには、真の観念を持つこと以外何ら他の標識を必要としない」(p86)には、「真理というのは、私たちが自らの緒経験をうまく統合的に把握することを可能にし、スムーズに行動できるように導いてくれる観念だ」(→⑥『プラグマティズム入門講義』p123)のようなことを主張した、19-20世紀のアメリカの哲学者であるウィリアム・ジェイムズと通じるところを感じます。

またスピノザの考える定義が、発生的であるという記述も興味深かったです。円の定義を例にして説明されています。

スピノザの考える定義論に従うならば、円は中心から円周へ引かれた緒線が等しい図形ではなく、一方の端が固定されていて他方の端が運動する線分によって描かれた図形と定義されなければならない。

p96 第二章 2 『知性改善論』と方法

学生が幾何の問題を解くときに、自分で図を書くと分かりやすくなるのは、図形を自らの手で発生させる過程を辿るからなのかな、なんてこの本を読んでから思っています。

「発生」というテーマは、私の中で20世紀のアメリカの学者であるグレゴリー・ベイトソンの『精神と自然 生きた世界の認識論』や、次に紹介する③『未来をつくる言葉』において脈々と息づいているように感じています。

さらに、次の記述はスピノザ―ドゥルーズ―ベイトソンに通ずる「差異」に関しての解釈として読むことができました。

では、我々が身体の観念を有するに至るのは、すなわち身体を認識するのはいかにしてであるか。スピノザの答えは明確である。身体に生じる差異によってであるというのがその答えだ。

p157 第四章 2『エチカ』第二部―身体と精神

最後に、スピノザの生活における姿勢に関する記述を引用します。
結構気に入っています♪

スピノザは決して富に誘惑されることはなかったが、常に身ぎれいで、外出時にはいつも整った服装をしていた。身なりを気にしないことは学問に熱中している証拠でもなんでもない。それどころか世間に対する無関心を装い、そのことを周囲に強く主張する自己顕示欲の現れにすぎない。学者風情がわざとだらしのない身なりをするのは、知恵の少しも認められない野卑な精神のしるしであって、それでは学問も腐敗を生むだけだとスピノザは常日頃から述べていたようである。

p19 序章 哲学者の嗅覚



③『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』/ドミニク・チェン(3月)

生物の成長の歴史がそのかたちに表出するという「プロクロニズム」。
この本自体がまさに著者と娘の歴史とその関係について触れているメタ的な自伝的エッセイです。

言語や技術が想いの表現を規定し、想いが言語や技術をつくる。
個々の環世界は、相手の物語を知ることで近づける。

本棚に置いておきたい本でした。


④『勉強の哲学 来たるべきバカのために』/千葉雅也(9月)

情報過剰の世界の中で、どう勉強するか。

「はじめに」で『深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。』と主張されるこの本は自己啓発本的ですが、著者の専門である哲学を背景に、勉強とその方法について楽しく考えることができました。

中でも、p124辺りで提示される懐疑・連想・享楽の三すくみの関係「勉強の三角形」は面白かったです。

ただ、連想の中断が享楽によってなされるというのは、独学に限る話になるのかなと感じました。

教師は、まずは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である。

p148 第四章 勉強を有限化する技術

目の前の出来事を、根源的な意味で「世界のダンス」として捉える。

p194 補章 意味から形へ―楽しい暮らしのために


⑤『生きるということ』/エーリッヒ・フロム(9月)

①『愛するということ』でも紹介したエーリッヒ・フロムの本です。

この本では、<持つこと>(to have)と<あること>(to be)という二つの生き方が提示され、フロムは前者から後者への変革を促しています。
そうした主張の根底には、資本主義社会の弊害や、満たされない欲望といったテーマがあります。

この本を読んで、特に学習の場面で「何かを覚えている」状態を善しとするのではなく「能動的に学ぼうとしている」姿勢を善しとするような価値観に変わり、以前より発言するのが楽になったと感じています。

何かを永続的に持つという言い方は、永続的で破壊できない実態という幻想に基づいている。たとえ私がすべてを持っているように見えても、私は―実際には―何も持ってはいない。というのは、私が或る物を持ち、所有し、支配することは、生きる過程のつかの間のことにすぎないからである。

p112 第二部第四章2 持つことの性質

どこまで到達できるかは運命にゆだねて、常に成長する生の過程に幸福を見いだすこと。というのは、できるかぎり十全に生きることは、自分が何を達成するかあるいはしないか、という懸念が増す機会をほとんど与えないほどの満足感をもたらすからである。

p232 第三部第八章1 新しい人間


⑥『プラグマティズム入門講義』/仲正昌樹(11月)

有用性を真理の基準として提唱する、19世紀後半頃に生まれたアメリカの思想、プラグマティズム。

この本では代表的なプラグマティストであるパース・ジェイムズ・デューイと、ネオ・プラグマティストとされるクワイン・パトナム・ローティまで触れられていますが、メインはウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』とジョン・デューイ『哲学の改造』を頻繁に引用した解釈に当てられています。講義録のようです。

プラグマティズムは一見すると江戸時代の古学や、福沢諭吉の実学のような趣きもありますが、西洋哲学の歴史の中で・科学が発達する中で生まれてきて、現在に至るという背景に真価があるように思いました。


⑦『明るい部屋―写真についての覚書』/ロラン・バルト(12月)

20世紀フランスの思想家であるロラン・バルトが、母の死後に書いた写真論です。
写真論かと思いきや、芸術論・表現論・ひいてはエッセイのようでもある不思議な本でした。

ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。

p39 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」


⑧『ふつうの相談』/東畑開人(12月)

臨床心理学者である東畑開人氏が論文としてまとめた本ではありますが、心理療法にある程度なじみがあればとても読みやすい本だと思います。
帯通り、「ケアする人たち」すべてにおすすめしたい本です。プライマリ・ケアというワードと大きく重なりあう所もあると思います。

ユング派心理療法・認知行動療法・家族療法といった、心理療法における学派知のフィールドと、世間知を中心として様々な分野や施設、コンテクストに応じて変化する現場知のフィールドをクロスさせてできた、「ふつうの相談の地球儀」モデルは圧巻です。
心理療法に関わらず、「学派知」を乗り越えるための議論としても有用だと感じました。

この本を読んで以来、自分の心の中に時折「ふつうのカウンセラー」がでてきます(笑)。


⑨『夢十夜』/夏目漱石(12月)

ここからは小説を紹介します。
まずは言わずと知れた夏目漱石の、幻想的な短編小説集『夢十夜』。青空文庫で読みました。

とにかく第一夜が美しかったです。
第六夜の仁王像の話や、第七夜の船の話も好きでした。

ヨルシカさんが夢十夜をモチーフに楽曲を制作しているので、それをお供にして読みました。


⑩『ダンス・ダンス・ダンス』/村上春樹(12月)

村上春樹さんの小説だとこれまでに「ノルウェイの森」と「海辺のカフカ」を読みましたが、この本はその二冊よりは分かりやすくメッセージ性が強いのが特徴だと感じました。(海辺のカフカのようなメタファーに富んだ小説も好きです。)

1980年代・高度経済成長期の札幌・東京・ハワイといった舞台で、34歳のミッドライフ・クライシス的心象の主人公が"結び目"を頼りに"踊り"ます。

シリーズものの続編なので、より深く読み込むには長編の1作目「風の歌を聴け」から読んだ方がいいと後から知りました。いずれ読んでみたいです。

終わりに

まとめてみると、2023年後半に読んだ本ばかり集まってしまう例年のM-1みたいな現象が起きてしまいました。
来年はどんな本に出会えるのか楽しみです♫

ここまで読んでくださった方はありがとうございました。気になる本を見つけられていたら幸いです。よいお年をお迎えください。

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