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となりのグレゴリー・ベイトソン

大学の試験が終わって頭の中が空っぽにリセットされた後、ふとグレゴリー・ベイトソンについて書きたくなった。

グレゴリー・ベイトソンの本としては、『精神の生態学へ』(2023)と『精神と自然』(2022)が岩波文庫から出ている。ご覧の通り、近年佐藤良明さんのリニューアルした訳とともに文庫化されており、今現在ホットであると言えなくもない。

グレゴリー・ベイトソンとは何なのか。Wikipediaで調べてみる。

グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904年5月9日 - 1980年7月4日)は、アメリカ合衆国人類学者社会科学者言語学者映像人類学者サイバネティシスト

改めて見ても、何をしていた人かあまりよく分からない。よく分からないのだが、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』に2年前に出会って以来、この本を読めばとてもワクワクするし、世界を捉えるためのピントが合う気がしている。


①『精神と自然』より

・その13― 論理に因果は語りきれない
われわれは論理的連鎖にも、因果関係の連鎖にも、同じ語を用いる。「ユークリッドの諸定義と緒公理を受け入れるならば、三辺の長さがそれぞれ等しい二つの三角形は合同である」と言う一方で、「温度が摂氏零度以下になるならば、水は凍り始める」とも言う。

佐藤良明訳『精神と自然』(2022)Ⅱ―誰もが学校で習うこと p115

本書『精神と自然』のⅡでは、誰もが学校で習うことと題して、科学的思考の前提が何であるかということについて語られている。引用文は、「その13― 論理に因果は語りきれない」の冒頭である。

簡単のために、架空の物質Aと物質Bを考えてみる。そして、その二つの物質の間には次のような因果(時間的)関係があるとする。
・物質Aが増加するならば、物質Bも増加する
・物質Bが増加するならば、物質Aは減少する

この「ならば」を無時間の論理関係に落とし込むと、次のような矛盾が生じてしまう。
・物質Aが増加するならば、物質Aは減少する

だから無時間な論理の関係と、時間を組み込んだ因果関係(広義のフィードバック)は分けて考える必要がある。

こういったことは、本当に学校で教えてもいいのではないかと思う。

②となりのグレゴリー・ベイトソン―関わる人と本

1.松岡正剛・佐藤良明・柴田元幸・落合陽一・ドミニクチェン

松岡正剛さんの千夜千冊にて、『精神の生態学』が紹介されている。

2023/12/9, 10には、松岡正剛さんと翻訳者の佐藤良明さん、メディアアーティストの落合陽一さんがベイトソンについて対談している。

ベイトソンに関する著名な本はモリス・バーマン著柴田元幸訳『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』だろう。

この本も元々は1989年出版されたのだが、2019年に復刊している。
翻訳者の柴田元幸さんは、どうやら佐藤良明さんから翻訳を任されたらしい。次のサイトに書いてあった。

本の帯では、落合陽一さん推薦、ドミニク・チェンさん解説と銘打たれている。落合陽一さんの推薦文にはこうある。

読了後、20代の僕の認識は決定的に変容した。その熱量はセカイへのシニカルな嘲笑を乗り越えさせ、『魔法の世紀』と『デジタルネイチャー』を僕に書かせた。計算機の魔術性を突破し、主体性を回復するための必読書。

ドミニク・チェンさんは著書『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』で、途中ベイトソンに言及しつつ、生命の成長の歴史がそのかたちに表出するという「プロクロニズム」について触れている。

松岡正剛さんは『デカルトからベイトソンへ』についても千夜千冊を書いている。

2. ベイトソンの出てくる本たち

  • 野村直樹著『やさしいベイトソン―コミュニケーション理論を学ぼう!』

  • 野村直樹著『みんなのベイトソン 学習するってどういうこと?』

  • 伊藤邦武著『物語 哲学の歴史―自分と世界を考えるために』

  • 河合隼雄・福島章・村瀬孝雄編『臨床心理学の科学的基礎』

ベイトソン本人に会ったという野村直樹さんの分かりやすい解説書シリーズ。

「魂の哲学」から「意識の哲学」「言語の哲学」を経て「生命の哲学」へと続く流れとして哲学史を捉えるこの本では、最後の「生命の哲学」の所でほんの少し登場する。

臨床心理学大系というシリーズの第1巻で、冒頭にて発達心理学者のジャン・ピアジェらと並べて紹介されている。
ベイトソンの有名な理論に、「ダブルバインド理論」という統合失調症症状を説明するモデルがあり、その流れに家族をシステムとして捉える「家族療法」がある。


③終わりに―ベイトソンというハイパーテキスト

ベイトソンについて知ろうとすると、様々な本や人物が引っ掛かる。
以上で紹介した以外でも、ユングやバートランド・ラッセル、ラマルクはベイトソンがよく引用する所だ。『サモアの思春期』を著した文化人類学者マーガレット・ミードと結婚していたこともある。
浅田彰『ダブル・バインドを超えて』、斎藤環『文脈病―ラカン・ベイトソン・マトュラーナ』といった本も。

むしろベイトソンがよく分からないからこそ、「区切り」ができてハイパーテクスト性が可視化されるのかもしれない。
例えばアインシュタインについて同じことをしたとしたら、「キリ」がないのだ。

これからもっとベイトソンが日の目を浴びていくといったことはあるのだろうか。気長に眺めていよう。

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