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芽吹きの時、心喜ぶ未来に向けて

前回の記事投稿から早や2ヶ月超え、3月も既に3分の1が過ぎようという早春の候。

我がまち新潟、本格的な春到来はまだ少し先のようですが、今から桜の便りが待ち遠しい時季でもあります(^-^)

私事ですが、この約2ヶ月間、新たな副業の為色々と準備を整えたり調べものをしたりと、これまでとはまた違った意味で忙しい日々、試行錯誤の日々でもありました。

またそんな毎日を過ごす過程で、ここ数年間に起こった芳しくない出来事や様々な情景が次々と浮かんでは消え、そしてある時、私の中で何かが弾け飛びました。

「今こそ転換期だ」と。

当時封じ込めていた思いが時を経て鮮明なものとなり、足枷となっていた問題にようやく着地。
いよいよ本気でそれに向き合おうというところに至りました。


2度の離婚を経て晩年独り身となっていた父が、多額の借金とすっかりゴミ屋敷と化した母屋に荒れ放題の敷地を遺し旅立った3年半前の9月初旬。

あの日から私の日常はガラリと一変。
相続問題発生を始まりに、来る日も来る日も事務処理に追われ、疲弊し、そして判断力を欠いた私は、何時しか自分の心に背くような生き方を自ら選び、そうした道へと突き進んでしまいました。

本当は望んでもいない事を自身の願望と偽り、心に蓋をして、騙し騙し今日まで生きて来ました。

けれども、ここに来てそれが限界であると明確に気付いたのです。
このままでは、生涯に渡り閉じた毎日を過ごす事になる。
心から笑える日、幸せと感じられる日が訪れる事は無いだろうと。


傾いた生まれ故郷の土地家屋(生家)を再建すべく、20年以上ぶりに帰郷して自宅を取り壊し新築までしたものの、僅か1年で売却を決めた事。

再び生まれ故郷を離れ、新天地となる今の場所(自宅)に転居を決めた事。
しかしそれも間違いだったと気付いた事。

全ては事を穏便に済ませる為でもあり、他に道が無いと切羽詰まった状況下で選択し続けて来た結果です。
誰が悪い訳でもありません。


私が今望んでいる事はただひとつ。
住み慣れた街に戻り、質素でも快適な暮らしを営む事。

年度末、そしてこれから季節は春へ、そして夏へと向かう時。
不要なものを手放し身軽になるにも絶好のチャンス。

1度ならぬ2度にも渡り住居を売却しようという、一見無謀と思われる計画かも知れません。

1度目がそうであったように、今度もまた、実現化するまでどれ程の時間を要するかわかりません。

しかしながら、今後の暮らしをどのようなものにして行こうか具体的な目標が定まるまでとなった今、気持ちの上では随分と楽になりました。
言わば、既に「心理的に不要なものを手放した」状態といえるでしょう。

先ずは目の前にある片付け作業から入り、その先の暮らしを思い描き行動を起こし続ける。
そこに大きな意味があると思っています。

こうした思いに辿り着いた事で、後は自ずと道が拓けると確信しています。



写真は住み慣れた街で毎年のように眺めていた桜。
この春も現地に赴いて、美しいその様を実際にこの目で観て来ようと思います(^^)



次回以降の記事では、私が何故こうした望まない道を選び、そして苦悩し続けて来たのか、これまでの経緯を交え具体的に綴ってみたいと思います。

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