『あたしンち』の歌詞を考察したら奥が深かった
ユズヒコファンクラブに入りたい、シェルです。今更なのですが、先日映画『あたしンち』を観ました!ラストシーン、ぼろぼろ泣いてしまって……。最後の主題歌にも感動したんです!
そこで、主題歌『あたしンち』を考察してみました。歌詞が奥深く、あたしンちの世界観がきれいに描かれているので、もっと物語が愛しくなりますよ。
ここからは、あくまで個人の考察になります!正解かは分かりませんので、ご了承ください。もし別の解釈がある場合は、ぜひコメントで教えてくださいね。
①あたしンちのエピソードを彷彿とさせる
この歌詞は、あたしンちのお母さん、お父さんそのものように見えます。
母の歌詞
あたしンちお母さんは謎理論を押し通すところがあるんですよね(笑)
例えば、ある曇りの日。出かける母に「折りたたみ持ってけば?」とみかんはアドバイス。「いや、いい。降らないから!」と母は出かけてしまいます。案の定、雨は降り母はずぶ濡れで帰宅。しかし母は「弱気で出て行ったらもっと降られてた」「強気だったからあの程度で済んだ」と謎理論を展開します(笑)
父の歌詞
あたしンちの父は、思いやりが気付かれなかったり、すれ違ったりすることがあります。
商店街を夫婦で歩いていたとき。母の背後から来るバイクに気が付き、父が母を道の脇へ引き寄せたことで、間一髪轢かれずに済みました。しかし勢いが強すぎてお母さんは手首を痛め、ご飯が作れないと文句を言ってプンスカ怒っていました(笑)
もしこうしたエピソードを踏まえて、「水平線を超えてゆく」や「地平線で輝いてる」という言葉で表しているのだとしたら……。とにかく巧みです! 言葉を絵の具にする画家というか……。
②日常に隠れた愛を映し出す
洗濯機を回すのは、日常シーンのひとつ。
あたしンちの話でいうと、思い出すのはこれです。みかんやユズヒコは大きくなって、乾かない日があると洗濯機を2回、回さなきゃいけない話があります。大きくなった2人の成長を夫婦がしみじみと実感するのが、いいんですよね……。
考え直してみると、洗濯を回すのも、家族のためという愛なのかもしれませんね。
『狭くなったあたしンち』より(Youtubeではもう公開されていないようです汗)
③歌詞の「ぼやけ感」が少し切ない
「ぼやけ感」というのは勝手に作った言葉です(笑)この歌詞なのですが、2つ解釈ができると思います。
・「今日は夕ご飯前に帰ってくるよ」の意味
いつも通り出かけて、帰ってくる時間を母に伝えているという考え方。日常の会話シーンが目に浮かびます。
・「夢」に呼ばれて独り立ちして、「いつかまた帰ってくるよ、きっと夕ご飯前とかに」の意味
もうひとつの解釈が、日常の場面ではなく、子供が独り立ちするという考え方。「夢」に向かって独立する子供が「また帰ってくるよ」と両親に伝えるのです。帰ってくるのは、あの日の頃のように、「夕ご飯前かな」という感じ。
1つ目と2つ目の解釈を二重にして考えると、日常の平和さやいつまでも続くわけではない切なさを感じられます……。
映画『あたしンち』のエンドロールで流れるのも合間って、このかしはちょっぴり切ないんですよね……。
『あたしンち』の歌詞を深読みすると、日常の美しさに気が付く
歌詞について深掘りしてみました!この歌は家族の愛しさと切なさが詰まっている素敵な歌です。聞いたことがない方は、ぜひ映画『あたしンち』で聴いてみてくださいね。
もし別の解釈がある場合は、ぜひコメントで教えてくださいね。最後までご覧いただきありがとうございました!ではまた次のnoteで。
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「あたしンちの母を見習えば幸せになれる説」
https://note.com/shelieshelle/n/nefa7edd5b8f9
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