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湧き出る泉を求めて ー積読ー

本を貪るように読む。
そういう時期がある。


読書好きを自認しているものの、毎日毎日本を読み漁っているわけではなく、目が滑ってしまって全く本が読めないこともざらだ。無数の言葉がその意味から逸脱し、文字たちがポットの中の茶葉のように膨らみ、舞う。言葉の奥にあるその本の「世界」をうまく捕らえられずに迷子になってしまう。


そうやって、ずっと読まない時期が続いて、その時期は読んでも読んでも目が滑って、頭の中に言葉が入ってくれない。

活字への渇望―読みたい気持ちは常に、そして無限にあるから、矛盾する欲望と自分の状態に悪態をつきながら、「その時」が来るのをじっと待つしかないのだ。


貪るように本を読むときは、
砂漠を旅するキャラバンがオアシスを求めるように、
乾いた土が恵みの雨を吸うように、
鹿が泉を求めて彷徨うように、
涙も枯れ果ててしまったとき。

無限に湧き出る言葉の泉で
渇いた喉を潤すように、
傷ついた手足を洗い流すように、
泥と埃にまみれた髪を清めるように、
澄んだ水をとめどなく注ぐ。

そういうときはどの本を読むのか、考えなくても身体が知っている。
自然と背表紙に手が伸びる。
本が呼んでいて、心がその本を求めてる。
ページをめくる手は止まらない。
ただ、身を任せて、言葉の海に潜るだけ。

最後のページまでたどり着いてやっと、「ああ、ちゃんと息を吸うことができる」と思えるのだ。

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