「結婚式パッケージ」がもたらす逸脱コスト
この結婚式レポを以前Twitterで見て、パートナーシップのアップデートという言葉が浮かんだ。本人が記事に超分かりやすく書かれてたので、おお!と思った。
「主体的に選択し望んだのではないとしても、儀礼やマナー、慣例という大義名分のもとでの指示や提示に身を任せているだけで、このような思想の強化に加担してしまう」
「既存の結婚式の背後にだってさきほど述べたような家父長的な政治思想は渦巻いており、何も「結婚式のデモクラシー」だけが政治的なものではない。」(抜粋)
私が式を挙げるとしたらこういう式がしたい!と思ったし、素晴らしい前例をシェアしていただいてとても勇気付けられた。
逸脱コストがもたらす業界へのコスト
だからこそ、あるパッケージを基に選択・追加式でアレンジしていく今の結婚式は、選択をさせることに意識や金銭のコストを発生させて「逸脱コスト」にしていると思う。今のマネタイズ的には仕方ないけど、パッケージを変える・作るだけでこの問題は結構解決するんじゃないか。わざわざ新規事業を作るまでもない(一種の新規事業なのかもしれないが)。
結婚式の価値観を広げることは挙式母集団に門戸を広げ、お金はあるが結婚式をあげてない人を取り込みうるし(生き残り戦略)、何より時代に合わせて変化することには社会的な価値があるはず。
…なんてことを移動時間に考えた。朝はどこも混みますね。
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