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withコロナ時代を生き抜く3つの処方箋【2】賢くなる

「時代が大きな転換点に差しかかっている」という言説のもとで今、多くの人が小さくない不安を抱えています。
そこで、未知の時代を生きるために役立ちそうな3つのポイントをまとめました。
今回はその②〈賢くなる〉です。


善意の沼で迷わぬよう、〈賢くなる〉
ちょいちょい世間を騒がせる“善意のデマ”は、なかなかに闇が深い問題です。
例えば、実体の無いボランティア活動への参加協力を募る人。隣近所に声を掛けまくり、マンション入り口に貼り紙などして張り切りますが、やがて、そんな活動自体が存在しないことが判明するという……。

この話がやるせないのは、善意に基づく行動だからです。「人助けになると思ったから」とご本人が言い募れば責めにくいし、自分こそ騙された被害者だと主張するかも知れない。周囲もいくらかは同情するから、結局誰が悪いのか分からないまま、関わった全員が宙ぶらりんの気まずい思いを抱え続けることになります。

善意のデマに煽られやすい人の一番の問題は、悪意のそれにも踊らされる可能性が高いことです。そもそも自分軸を持たない人々は、他人が動く方向に流れては騙される、のパターンを人生で幾度となく繰り返しています。
基本は善人なのですが、騙す側から見ればこれほど美味しいカモもいないでしょうね。


非常時にも生きがいは見いだせると教えてくれた人たち
コロナ騒動の初期、トイレットペーパーやマスクを求めて早朝から行列する人々が話題となりました。そんな時間から並ぶことのできる高齢者が多勢で、中には数軒ハシゴする猛者もいらしたようです。
毎日並んでは箱マスクを大量購入しているというある高齢者は、「ご近所にも配って喜ばれている」と、ノーマスク&ドヤ顔で語り、インタビュアーを絶句させてましたっけ。

彼らにすれば、在庫は潤沢だというアナウンスなんかどうでもよくて、要は「困難な状況で、いかに数多くの収穫を得るか」という、あれは実利とスリルを兼ね備えたサバイバルゲームだったのです。さらには、近隣に安全・安心をおすそ分けしている自分はエラい、という自己実現を果たし、ご近所への社会貢献による承認欲求も満たせてお疲れ様でしたと。

これら、商品の買い占め騒動やボランティア活動、感染予防にまつわるエセ科学ないし誤情報の拡散といった出来事をプレイバックすると、人がいかに“不安vs.希望”の間で揺れ動く、小っちゃな生き物であるかを痛感します。
これも国民性と諦めるか、情けない・恥ずかしいと憤るか、あるいはここからなにがしかを学んで、次から少しはマシな世の中にしていくか……。


油断もスキも、あったらアウトな時代
学びのポイントがあるとしたら、自分の脳ミソだけはクール&ニュートラルな状態に保ち、情報との付き合い方をイチから見直すことに尽きます。
弱みにつけ込む話、不安や恐怖を煽る伝聞、うますぎる儲け話などは、どれも騙しハウツーの古典です。だとすれば、問題の核心は情報を介する“人”の側にあると見るほうが、実効性にフォーカスした対策が立てやすいのではないでしょうか。

デマがもたらす悲劇の本質は、労力や金銭面の損失だけではありません。ウソと分かったときのショックと失意、罪悪感、恥ずかしさ、やり場のない怒り、その他様々なモヤる思い……受けたダメージは思わぬ形で尾を引き、たとえ小さくても深い傷痕を残します。
まことしやかな、しかし怪しい情報に肩を叩かれたときの「私は絶対、大丈夫!」が、実は一番危ない。
withコロナの時代は、そこに改めて警鐘を鳴らし、誰かの悪意で泣く人を作らないための意識改革を促しているように見えます。
(③-前編に続く)

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