祖母たちと写真たち
祖母が亡くなった時のことを思い出す。
急いで準備して遠くの祖母の家に着いた頃には日が暮れていた。
床の間には顔を白い布で覆われた祖母。
悲しさが最初。次に違和感。
あれ? こんな顔だったっけ?
違う顔とも言いきれないし、数年ぶりに会ったからか、じわじわとした違和感が最後に会った記憶から追いかけてきた。そして会えてなかった年月の長さにも悲しみが向いていき、涙が込み上がるように出ていった。
祖母に向かいつつ、一通り親族で最後がこうだったとかああだっとかの話を聞いていたら、祖母の昔の写真が出てきた。白黒だ。場所はどこだ? 若い。あっおじいちゃんだ。
そうしたら親戚が写真の場所だとかこれは何歳ごろのやつだとか思い出し思い出し、その頃の状況だとか、時代とか語ってくれた。白黒だけどこの着物の若いおばあちゃんは赤がすごく綺麗だったとか、おじいちゃんが立ってる場所は治安の悪い平屋だったとこの砂利道で、何故にこんなところで胸張ってポーズとっていたかというとその日は快晴で写真日和だったからだとか。
そんな事情は白黒ではわからない。昔っぽさは白黒で強調されるのか?
写真を握って祖母たちのその時々の姿を眺める横で、もう物言わぬ祖母を見る。
写真は鮮明にものごとを写してきたけれど、全然写っていないじゃないかと思ってしまった、と考えた瞬間に頭が勝手に今までの写真に色彩をつけてきた。写真と紐付く話を聞いたからか。
今では家族の白黒写真に限っては、「昔」というよりかは「この前」の感覚で見られるようなった。
この前の写真。
もう遠い出来事としては見られなくなった寂しさもある。
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