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「萩原さんについて」斎藤茂吉

※素人が、個人の趣味の範囲で入力したものです。
※一通り見直してはいますが、誤字脱字等の見過ごしがあるかもしれません。悪しからずご容赦ください。


萩原さんについて 斎藤茂吉


 萩原さんとは生涯のうち數囘しか會つてゐない。詩集「月に吠える」の發行は、大正六年だといふから、さうすれば大正六年のことになるが、萩原さんが突然、私の勤めてゐた東京府巣鴨病院に私をたづねて來られ、私もその「月に吠える」といふ詩集の寄贈を受けた。そのとき萩原さんの話に、森鷗外先生を訪ねられ、詩集一本を呈上し、詩についていろいろと話をして、獨逸人の詩集一册借りて來きたといふことであつた。その獨逸詩人は誰であつたか只今はもうおもひ出せない。併し、デエメルやリルケなどではなかつたから、それ以後の若い詩人であつたやうである。
 程經て鷗外先生に會つて談たまたま萩原さんに及んだが、先生いはれるに、萩原さんは率󠄁直な人でなかなかおもしろい。また詩も特色のあるものだ、さういふことであつた。
 私はその大正六年に巣鴨病院を罷め、長崎に行き、それから西洋に行つたりして、氏に會ふ機も無かつたが、大正十四年に歸朝してから、著書をいただいたり、會ふ機會も數囘はあつた。
 萩原さんの詩風は、平板を排して深刻に行く方で、從つて島木赤彦のものよりも與謝野晶子のものを上位に置くといふ風であつたから、おなじ流儀といふわけにはまゐらなかつたが、それでも自分は萩原さんを詩人として尊󠄁敬してゐた。それゆゑ、五十七歳の長逝は實に悲しみに堪へない。
 人生自然を觀照する方嚮でも、日本語を取扱ふ爲方でも、萩原流に純粋いつこくのところがあつて好かつた。
 氏には未發表の遺稿があるといふから、おそらく深く尊󠄁敬すべき作がその中にあることと思ふ。室生さんなどのお骨折によつて發表していただきたいものである。


底本:斎藤茂吉全集第10巻 昭和29年1月24日第一刷
初出:雑誌「四季」 昭和17年9月号


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