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「あの夏のルカ」は思い出のあとさきじゃない

ピクサー映画「あの夏のルカ」を今更ながら見ました。
2021年6月にディズニープラスで配信公開、エンリコ・カサローザ監督の作品。それよりも前に、「私ときどきレッサーパンダ」を見て、いたく感動したので、”レッサーパンダ”を踏まえての”ルカ”、という感想をば。
エンリコ監督のことはよく知らないんだけども(ごめんね)、「私ときどきレッサーパンダ」のドミー・シー監督といい、ピクサーは”ポスト・ジョン・ラセター監督時代”において、さまざまな監督を起用して実験を繰り返しているように見えるのです。完全に1ファンの憶測にすぎませんが。でも結果としてラセター監督が居た時よりも多様な作品、様々な表現が見れてる気がする。そしてみんなジブリに影響受けすぎワロタ(いいと思います、もっとやれ)。

ストーリーはざっくりいうと、
陸の世界にあこがれた「シーモンスター」が、友達に出会って、二人でバイクに乗りたい話、です。しかし中盤ではバイクよりも圧倒的に自転車に乗るシーンが多くなっています。終盤ではバイクに乗ります。よかった。めでたしめでたし。

ルカとアルベルトがかわいい

まずもって、主人公ルカとその友達アルベルトのキャラクターの造形が可愛いです。本作はご時世もあってリモートで制作され、ジブリアニメの表現も参考にしているとのこと。
たしかに、猫のマキャヴェリのデザインは、ジブリの「耳をすませば」のムーンや「猫の恩返し」に出てくるムタにそっくり。ストーリーを引き締めてくれる、愛想のないでぶねことして登場します(かわいい)。
水の表現、ルカが初めてみる陸の木々や植物、光の表現も本当に美しい。現実の自然の美しいところをデフォルメして、美しさを強調しているように感じました。工夫された表現だなと思いました。

やんわりと描かれる差別とその対処法

本作の世界では「人間」と「シーモンスター」がお互いに恐れ合っており、「シーモンスター」であるルカとアルベルトは、島の人間たちにバレないように立ち回ります。
”レッサーパンダ”ほどの丁寧な多様性の描写はないけれど、相容れない者たちの差別構造、そしてその解消(という理想)は、なんとなく今の時代に繋がるのかもしれない。
とはいえ、時間が足りないのか、そのあたりは丁寧に回収できず、ご都合主義になってしまったのはちょっと残念。・・・・・・残念、残念ではあるんだけど・・・それでも泣きましたけどね。滝のように。

やんわりと描かれる家族のキズナ的なもの

過干渉する母親、育児に無関心な父、変化球キャラの祖母。
ルカは母親から繰り返し「陸に行ってはいけない、陸の話をしてもいけない」と言われ、家の仕事に専念するように言われます。
(ちょっと昔の子どもだったら家庭の仕事を手伝うのは当たり前なのかもしれないけど)、学校にも行けずにずっとおんなじ児童労働のルーティンを強いるのは奴隷じゃない?それも含めて、ちょっと昔の家族像なのかもしれない。
そして陸に上がって危険を冒してまで自分の子を探しにくるも、他の子どもと息子を見分けられない両親・・・。えー、あんなに口うるさく干渉してきたり、「あなたが大事よ」とか言ってきたのに?ちょっと共感しかねます。最後もご都合主義できれいにまとまるので若干納得いかないところもありつつ・・・まあ、色々思っていてもさ、そこはピクサーの映像と音楽の力でさ、最後にはティッシュのタワーが積み上がるほど泣くんよね。

「少年時代」はやめろ

この記事で一番主張したいこと、それは『エンドロールで流れる井上陽水の「少年時代」をちょっとオシャ〜にアレンジしたもの、を流すのをやめろ』ということです。せっかく北イタリアののんびりした雰囲気に浸っていたのに、急に日本のジメジメした田園風景になりました。時代も背景も違うやんけ。
ディズニー映画は大好きで近作はほぼすべて見ていますが、素人芸能人声優の起用と、無理矢理な日本版のエンドソングの採用(avex、お前のせいか???)、そういうのを少しでも減らしてください。今回、声優が芸能人じゃないのは評価した。北イタリアで「少年時代」を流した件は未来永劫反省してください。

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