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本物のスピリチュアルを勉強したい人のための本 「ピスティス」の力     第Ⅰ部

※ 7つの「霊的な武具」の解説付き!



このnote(第Ⅰ部、第Ⅱ部合わせて)は……、


クリスチャンであるなしに関わらず

目に見えない世界の力に翻弄(ほんろう)され「サンドバッグ状態」とならないようにするための「戦い方(防衛術)」について解説したものです。


第Ⅰ部である本noteでは、”敵を知ること” に焦点を当て、戦い方を身につけるための「準備」を整えるような内容となっています。



「はじめに」と「第1章」の部分は、無料で読めるようになっておりますので、どんなもんか、のぞいてみてください。


ちなみに、Ⅱ部の方は「返金制度」を設けておりますので、

「なんか、思ってたのと違ってた……(-_-;)」


という際には、遠慮なく「返金制度」の方をお使い下さい^^
(注意:Ⅰ部の方には返金制度はございませんので、無料部分を読んでみて、続きも読んでみたいと思って下さった方は、ご購入していただけると嬉しいです!)



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という温かい気持ちをお持ち下さいましたら、You Tube継続の支えとなるため、助けて下さると嬉しいです^^

『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』
マタイによる福音書 25:40(新共同訳)


【このnoteが役に立つ人】

・自分を変える、なんらかの「きっかけ」を探している人
・自分の人生が上手くいかない原因を突き止めたい人
・聖書について、ちょこっと興味がある人
・スピリチュアルな世界に興味がある人



【このnoteを読むと……】

・ハマリ込んでいた「迷路」から抜け出す道がひらける
・今までのダメな自分を「脱却する方法」が見えるようになる
・聖書が教える「霊的な武具」について、理解を深めることができる
・見えない敵に翻弄されないための「基本的な姿勢」を知ることができる
・あなたを根底からむしばむ「害悪の危険性」について気付くことができる



【note購入時の注意点】

本noteは、全12章のうち、1~7章(36000文字以上)までを収録したものとなっております。


本noteをお読みいただき「続きも読んでみたい」と思ってくださった方は、8~12章(77000文字以上)の方も、ご購入いただければ幸いです。



【全体の構成】


はじめに

第1章 実は、誰もが「信仰の力」を使ってる!? ――自由意志と共に与えられた「諸刃の剣」

第2章 「人生の軸」をアップデートしよう!
 * 「軸」の無い人生の喩(たと)え
 * 【あなたの軸はどれ?】さまざまな人生の「軸」
 * 現代人の多くが「軸」としているものの「正体」とは?
 * 「軸」を替えるとは、スマホやPCを「アップデート」するようなもの

第3章 見えない敵の存在を知ること――すべてはそこから始まる
 * たちの悪い「かくれんぼ」
 * くりかえし倒れる「缶」のナゾ
 * 「小さな杖」を笑う者たちの悲劇
 * 印象という名の「隠れミノ」

第4章 聖書から読み取る「見えざる敵」の特徴と、私たちの取るべき姿勢
 * 敵を知る――「邪悪な霊たち」に関する基本事項
 * 【取るべき姿勢①】罪から離れる
 * 【取るべき姿勢②】スピリチュアルなものに、ヘタに手を出さない
 * 【取るべき姿勢③】バタバタして、心を掻き乱さない
 * 【取るべき姿勢④】「みことば」で抵抗する癖をつける

第5章 スピリチュアルな領域への「入り口」は数多くある!?――ニューエイジという罠
 * ニューエイジという名に秘められた「メッセージ」
 * 巧妙に「神」から引き離す、という策謀
 * 「成功哲学」= 空っぽの冷蔵庫  「ニューエイジ」= ハリボテの家
 * っていうか、ニューエイジってそんなに悪いもの??
 * 仮面をかぶった「聖者」と、滅びへとつながる「ポータル」
 * 手放したくない……

第6章 【情報社会】あなたは、フェイク & 有害な情報という「汚物」から身を守る必要がある
* 現代において最も必要なスキルの1つ、”情報の取捨選択”の重要性
* フェイク――「偽りの父」の常套手段
* 不可視の砂金――真実を埋もれさせるという、敵の策略
* 聖書が預言する、究極の管理社会(国家、宗教、貨幣の統一。情報統制により、聖書自体が読めなくなる時代が来る)
* 邪悪な霊たちは、あなたに聖書の知識を知られたくない
* 闇に注目しすぎるな!

第7章 「破壊的な信仰」を「建設的な信仰」に、くりかえし上書きせよ!
 * 医学的に「有効性」が認められている「認知療法(コラム法)」
 * クリスチャンでなくても使えるの? 
 * 自分の支配権を、断じて手渡してはならない
 * 聖書が教える7つの「霊的な武具」と、その役割
 * ポイントは「瞬発力(即時対応)」&「持久力(くりかえし)」


↑ ↑ ↑  本noteは、ここまで!  ↑ ↑ ↑



第8章  【保存版】見えない敵に翻弄されないための「聖書的」防衛マニュアル ~ 21のシーン別「聖句使用例」~

第9章 「信仰の力のベクトル」と「心身の健康」との深~い、つながり
 * 時計職人の言葉に、耳を傾けよう
 * 「要塞」は、病となって具現化することもある
 * それ、実は自分自身を呪ってます……
 * 「弱気」と「強気」
 * 自分を害することなしに、他人を害することはできない
 * 「感謝のハードル」を下げるべし
 * 「ブルーゴールド」の教訓
 * 触手ニョキニョキ
 * 先人たちのアドバイス――足るを知る生活

第10章 【人生の荒れ野】つまずきながら、暗闇の中を手さぐりで歩むしかない時がある
 * 「敵地」で歓迎される者などいない
 * 「粘土の人形」と「美しい彫像」
 * 精錬された金銀――神は、その愛する者を鍛える
 * 99%の日本人は「的外れ」な人生を歩んでいる!?
 * 「順境」と「逆境」

第11章 あなたはどっちの勢力に所属する?? ――「光に属する者たち」と「闇に属する者たち」
 * 1%の「超少数派」によるレジスタンス
 * 気づかぬ間に「詐欺師集団」に加担してしまっているという悲劇
 * 「不可能なこと」をやろうとすると、激しく消耗する
 * 「天国」= 同じ属性のものをまとめて、より分けた世界
 * 流れを変えよう

第12章 【結局これが最上策!】神と「2人3脚」で人生を歩む
 * 「歪んだ鏡」には、歪んだ姿がうつり込む
 * 起床直後に「マスターキー」を拾え!
 * 戦い方の「王道」
 * ハッピーエンドは確定している

おわりに


ここから、本編です……


一燈(いっとう)を提げて暗夜(あんや)を行く。
暗夜を憂れうること勿(なか)れ。只だ一燈を頼め。

【訳文】
ひとつの「ともし火」を下げて暗い夜を行く。
闇夜を心配するな。ただ、その一灯を頼りにせよ。

言志晩録 第13条


はじめに

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私たちの生活は、ある種、ゲームのような面があると言うことができます。


それは「マイナスのエネルギー」が渦巻くこの地上にあって、いかに自分自身の「心の状態」――「波動」や「エネルギー」等、呼び方は何でもかまいません――を、プラスの状態に保持し続けることができるか、というゲームです。


聖書によれば、本来、私たち人類が統治するように任されたこの世界は、現在、”悪い霊的な存在” によって不法に占拠されている状態にあるのだとしています。


それゆえ、この世には、私たちの足を引っ張ろうとする「霊的な罠」や「惑わし」が、満ちあふれているのです。

・怒りがこみ上げてくるような出来事
・愚痴をこぼしたくなるような経験
・人や物に当たり散らしたくなるような不運の数々
・神を呪いたくなるような絶望的な状況


例を挙げればきりがないほど、私たちの日常には、”私たちの感情を乱すような出来事”が、数多くあります。


もちろん、すべてとは言いませんが、このような出来事の多くが、”私たちの心の状態を掻き乱すための敵の罠” なのです。


もし私たちが、このような出来事によって憤(いきどお)り、いじけ、絶望し、懊悩し、嫉妬し、等々……、心の状態――波動を「マイナス」の方へ傾かせてしまうならば、まさに、敵の思うツボなのです。

「何のために!?」

と、あなたは思うかもしれません。もちろんそれは、”あなたを神から引き離すため” です。


現代人の中で、神のことを本気で信じている人は「少数派」なのではないかと思います。


私たちが住む日本において「年末」や「お正月」等、ある種のイベントとして、神社に詣でる人は大勢いるかもしれませんが、日々の生活の中で、心から神に頼って生きている人は稀(まれ)でしょう。


残念ながら現代のこうした状況は、”目には見えない勢力たち” の思惑どおりになっている、と言わなければなりません。


その原因の根本は、私たちの「無知」にあります。


知らないから、向こうの好き勝手にやられてしまうのです。
ある時イェシュア(イエスという名前の、本来の発音)は、弟子たちを町々に遣わす際、このように言いました。

「あなたがたを遣わすのは、狼の群れに羊を遣わすようなものだ」


実際、この世は、”神とつながっている者たち* = 神に属する者たち ”にとっては、そのような場所なのです。

* 「神っているかも」という気持ちを1%でも持っているならば、つながりの強弱はあるとしても、その人は神につながっていると言えます。



本当の敵は「霊的な存在」ですから、彼らは直接的にではなく、”この世に属する人々や物” を用いて、間接的に私たちに攻撃を仕掛けてきます。


しかし、このような「狼の群れ」の中にあって、自分の力だけでどうやって、心を守ることなどできるでしょう?


だからこそ「聖書の知識」が必要なのです。


筆者のブログの中でも、くりかえし言っていることですが、聖書とは、単なる「古臭い宗教本」などではありません。


むしろ、この「神の言葉」とも言われる聖書が、人工的な「宗教」という枠の中に押し込められていること自体が、この「厄介な書物」を人々から遠ざけておくための、敵の巧妙な「策略」なのです。


彼らは、私たちが「聖書の知識」を知ってしまうことをおそれています。


私たちが世にあって、敵の攻撃に翻弄(ほんろう)されずに歩んでいくには、”聖書で教えられていることを日常生活に取り入れる”、ということ以上に優れた方法は他にないのです。


聖書の教えとは、私たちの心を護る「鎧(よろい)」のようなものであると同時に、敵の攻撃を粉砕する、強力な「武器」でもあります。


想像してみてください。


戦場において、相手の手の内を知っているのと、知らないのとでは、いったいどれほど大きな違いがあることでしょう!


さらに「丸腰」で戦うのと「武具」を身に着けて戦うのとでは、受けるダメージにどれほどの違いがあることでしょう!


私たちが今、身を置いている世界は「霊的な戦場」であり、誰ひとり、戦いを避けては通れません。


本noteは「霊的な武具」を身に着け、見えない敵に翻弄されずに生きていきたい、という方のための「防衛マニュアル」です。


本noteによって霊的に武装し、運命による「サンドバッグ状態」から1歩ずつ抜け出すための準備をするのです。


それでは、はじめましょう。



第1章 実は、誰もが「信仰の力」を使ってる!? ――自由意志と共に与えられた「諸刃の剣」

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思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits; for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

マザー・テレサ




私たちは、ひとりの例外もなく「信仰の力」を使って生きています。
そう、あなたもです。なんの宗教も信じていない方は、

「いや、私、無宗教なんだけど……」

と思われたかもしれません。しかし、なんらかの宗教を信じていると、いないとに関わらず、あなたは無意識に「この力」を使っているのです。


もしかしたら、日本では「信仰」という言葉にベールがかかってしまっており、「信仰」=「宗教の言葉」というイメージがあまりにも強いので、ピンとこないかもしれません。


実は、日本語の聖書で「信仰」と翻訳されている単語は、原文のギリシャ語では「ピスティス」といって、「信念」「信頼」「忠実」などの意味を持った言葉です。


ですから、このテキストを読むに当たっては、さきほどの「信仰の力」という言葉を「信念の力」「信じることの力」というふうに置きかえてくださってもかまいません。


ただ「信念の力」だと、成功哲学の分野で多用されている表現なので、本書では、”スピリチュアルな領域” に言及する関係上、あえて「信仰の力」という表現を用いることにします。


ようするに、人は誰しも「何らかの信念」――言いかえれば「信仰」を持って人生を生きているわけです。


「信仰」=「信念」=「強烈な思い」というのは、1つの実質的な力であって、「思い込み」や「実態の無いもの」ではありません。聖書では「信仰」について、以下のように説明しています。

† 信仰とは、望んでいる事柄の「実体」であり、見ていない事柄の証拠です。 ヘブル人への手紙 11:1(King James Version)

※ある訳では「望んでいる事柄を実体化することであり」と訳されている。


試しに、身のまわりを見回してみてください。私たちの生活には、”仕組みは分からないけれど、深く考えずに利用している力” というものが、たくさんあります。

・スマホの電波
・リモコンの赤外線
・イヤホンのBluetooth
・電子レンジのマイクロ波
・時計の針を動かしている電池の中に蓄積された電気

などなど……、私たちの日常には、目には見えないし、専門的な知識がない限り、その仕組みもイマイチ分からないけれど、理屈抜きで現に使っている「力」というものが、確かに存在していることが分かってもらえると思います。


これらの、実際に私たちが利用している「不可視の力」と同じように「信仰の力」も目には見えないし、今のところ、科学的にその仕組が解明されているわけではないけれど、確かに存在している、”具体的なひとつの力” なのです。


そして、私たちが「電波」や「Bluetooth」の仕組みについて、イマイチ理解できずとも、それらを利用できるように、私たちは「信仰の力」も利用できるのです。


というか、すでに無意識のうちに、日々の生活の中で利用しているのです。
この「信仰(信念)」は、大別すると……、

・建設的な信仰(人生を建てあげる力)
・破壊的な信仰(人生をブチ壊す力)

の2つに分けられます。


たとえば「建設的な信仰」の例で言えば、エジソンが1万回以上の失敗をかさねながらも、最終的に「電球」を発明することができたのは、「かならずできる方法があるはず」という、成功に対する並外れた「信仰」があったからですし、


プロ格闘家の朝倉兄弟が持つ「気持の強さ」は、自分の強さに対する強烈な「信仰」をいだいているからです。


逆に「破壊的な信仰」の例を挙げれば……、


「自分はなんてダメな人間なんだろう」


という、くりかえされる強い思いが「心」や「体」に病となって実体化されることや、「失敗したらどうしよう」という強烈な恐怖心が、実際に失敗を呼び込んでしまうことなどが挙げられます。


このように、何の宗教も信じていない人たちであっても、1人の例外もなく、皆この「信仰の力」を用いて暮らしているわけです。

信仰
信念
思い込み
思いの現実化
引き寄せの法則 etc……

呼び方は何でもかまいません。重要なことは、そのような「力」が実際に存在する、ということです。


強烈な思いが実体化する、といった「成功哲学」の思想は、おそらく聖書から着想を得たものだと思います。イェシュアの言葉には、そういったものがいくつかあるからです。

† もし、信じることができるならば、信じる者にはすべてのことが可能なのだ。  マルコによる福音書 9:23(King James Version)


† そこで、イェシュアは彼らに答えて言われた。
「神に在って信仰を持ちなさい。偽りなくあなたがたに言おう。この山に向かって『取り去られ、海に投げ込まれよ』と言い、心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるならば、そのとおりになります。

それゆえ、私はあなたがたに言います。あなたがたが祈るとき、あなたがたが強く望むことはどんなものであれ、(それらを)受け取るとを信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」

マルコによる福音書 11:23~24(King James Version + Strong)


このように、イェシュアの教えは単なる「道徳的な教え」ではなく、言わば、”霊的な法則と調和して生きるための方法” を教えるものだったのです。

「自信が持てない」
「心が満たされない」
「幸せだと感じられない」

私たちが、こういった状態におちいってしまうのには、

貧困
容姿
凡庸(ぼんよう)

など、さまざまな「外的要因」がありますが、それ自体が私たちを害するとは限りません。


それら「外的要因」が、自分の内にある「破壊的な歪(ゆが)んだ信仰」と結びつく時、私たちはその要因に「自分を害する力」を与えてしまうのです。


この「外的要因」は、自分の努力でコントロールできるとは限りません。しかし、内側の信念(自分が何を信じているか = 信仰)は、魂の3つの働き*のひとつである「意思」を用いることによって、自由に変えることのできるものです。

* 聖書的な理解では、人間は「体」「魂」「霊」の3層構造になっており、魂(精神の部分)には「思い」「意思」「感情」の3つの働きがあると言われている。



つまり、重要なポイントは、いかにして「破壊的な歪んだ信仰」を打ち壊し、「建設的な信仰」に置き換えてゆくか、ということなのです。


このnoteでは、上記の「破壊的な歪んだ信仰」が、ガッチリとあなたの内に根を下ろしたものを「要塞(ようさい)」と呼ぶことにします。


私たちの内に形成された「破壊的な歪んだ信仰(信念)」とは、まさに ”負のエネルギーの巣窟(そうくつ)” とも言える「要塞」のようなものです。


実は、内側にある、この「要塞」によって、あなたの「思考」や「行動パターン」は、大きく影響を受けています。


そして、私がこのnoteを通して、あなたに最も伝えたいことは「要塞」を破壊し「建設的な信仰」に置き換えてゆくには、聖書の言葉を利用する以上に優れた方法はない、ということです。


なぜなら、日本に「言霊(ことだま)」という概念があるように、神の霊感によって書かれたとされている「聖書の言葉」にも、力強い「神の霊」が宿っているからです。

† 私たちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。私たちの戦いの武器は、肉に関するものではなく、要塞を破壊するほどの、神によって力あるものだからです。
第Ⅱコリント 10:3~4(King James Version + Strong)



世の中には、数えきれないほどの「成功哲学」や「自己実現」に関する「メッソッド」や「書籍」があふれています。それだけ「今の自分を変えたい!」と思っている人たちが多いことの証拠でしょう。


私もかつて、そのような本を読みあさり「究極的な何か」を、必死になって追い求めていました。そして、「これこそ、自分が求めていたものだ!」というものに出会った数と同じだけの「失望」を感じたものです。


結局のところ「信仰の力(信念の力)」を破壊的な方面に使うのをやめ、建設的な方面に振り向けるには、聖書の教えに従って生きていくのが「1番の近道」であり、理にかなってもいるのです。


なぜなら、聖書の教えとは、私たちを創った「クリエイター(創造主)」による教えなのですから――。


それは、ゲームのクリエイターが「攻略法」を熟知しているのに似ています。つくった方の「アドバイス」に耳を傾けるのが、最上策なのです。


福音書において、イェシュアは様々な状況に対処する方法を……、


「こういう時はこうしなさい」
「こういう人に対してはこのように対応しなさい」
「こうなりたければ、このようにしなさい」


などの形で教えています。


これらの教え――「教え」という言葉に抵抗を感じるのであれば「アドバイス」と受け止めてもかまいません――を人生の「軸」とし、徹底的に日常生活の中に落とし込み、血肉とする程度にしたがって、私たちは本来の力を発揮して人生を生きてゆくことができるようになります。


そして私たちは、この不可視の力――「信仰の力」を、単に、本の中の知識としてではなく、実際に試してみることによって、その「真偽」を確かめることができるのです。



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