「しょうがない」ってこと。

しいたけ占いとしいたけさんが好きでのほほんと良く読んでいたのだけど、この記事を読んで、深い共感と納得があったので残したい。

だから、「なんらかの依存症を持っている」と思って、自分がそういうネガティブな思考とか行動をやり出したら「こういうの気持ち良いんだよな。依存症だな。しょうがないな」って思って、依存症が深くなる前に「てきどに付き合う」っていうのが一番だと思うのです。

引用:「自分を愛することについて」:しいたけのブログ

これを読んだときに、強く、私の芯になっているものと同じだ、と強く思った。

自分の口からは誰にも言ったことはなく、ただそう診断されただけ。だから自分でもしっかり受け入れられてるわけでも、克服したわけでもない。強く叱られたり、心配されたり、泣かれたりすることもあったのだけど、自分の中では「しょうがないな」としか思えなくて、やっぱり仕方なくだけど認めて、気付いていたとしても何も言わないでいてくれているパートナーと一緒に暮らしているからこそ、深い淵を見ることなく、だんだん薄れて行った依存症がある(完治はないと思う)。

「抜毛症」
「トリコチロマニア」

WEBサイトに単語を入れたら、ウィキペディアでは「脳の仕組み神経細胞と脳のコミュニケーションの一部に支障があるために起こる」と表現されていてちょっと清々しい。

子どもの頃に連れて行かれた病院のカルテに書かれた文字から病名を知った。

自傷行為でありながらも、命に関わるものではないから精神科には行かなかった。「なんでそういうことをするの」「やめなさい!」そういう言葉や叱責は心配から来ていることも知っていたし、声を荒げた母親を恨んではいない。アトピーがひどくて眠れないときに一晩中背中をさすりながら「大丈夫、治るよ」と言ってくれたり、他の兄弟とも分け隔てない育て方含めて、十分な愛情も注がれたと思ってる。

やめろと言われてもやめられない自分に怒りも疑問も感じたし、行為をした後の肌を見て絶望を感じたこともある。

でも私はどこかで、「これがないともっと壊れるんだから、しょうがない」ということを無意識に感じていた。

それはもちろん、癖を辞めることからくるストレスの反動、ということもあるけれど、やっぱりその瞬間は気持ちいいのだ。健康的ではないけれど、誰に迷惑をかけているのか、という開き直った気持ちすらもっている。

「完全に受け入れた」とは思わないけど、「しょうがないよな」とずっと思ってた。この病気自体が自分なのだから、これを無理やり封じ込めたら、絶対違う何かになって表れるんだ、って。そういう気持ちでずっといたら、少しずつ、ほんの少しずつだけど、薄れていってる。

仕事はプレッシャーもきつい方だと思うし、ストレスで一時的にひどくなったりはするけど、たぶん、周囲の人は「依存症を抱えた人」とは思ってないだろうなと思う。わかんないけど。

要は「正常」とか「異常」なんてはっきりとしたものなんてこの世になくて、やっぱり「しょうがないな」って受け入れているものがみんなにもあるんだって思えると自分にも、相手にも優しく生きていけるんじゃないのーって思う。以上。

#しょうがない #抜毛症


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