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女性鍼灸師、肩書きについて考える。

 肩書きを考えよう!と思ったのは
つい1ヶ月ほど前だ。
素敵なフリーランス女子には肩書きがついている。
聞いただけで、自分が何者かどんなことをして
いきたいのかという気概が伝わってくる。
そんな、肩書きが欲しいと思った。

さて、自分がどんな人なのか 
何をしたいのか
どんな鍼灸師でありたいのか
今まで漠然としか考えてこなかった。
なんとなく、こんな感じというのはわかっているが、それを言語化するとしっくりこない。
例えば
 人生を好転させる鍼灸師
 体も心も健やかに生きるサポートをする鍼灸師
 がんばる あなたに伴走する鍼灸師

なんとかく、ピンとこないのだ。
お客様が私の施術を受けたことで
前向きになったり 自分の人生を好転していこうと言う気力が満ちてきたり 自己肯定感を育つ
そんなサポートをしたいと思ってきたが
そもそも、誰かをこんな風にしたいと思う気持ちが思い上がりだし 私の自己満足でしかないのではないかと、疑問に思ってしまったのだ。

どんな自分でいたいのか?

まず、そこから つまづいている。
自分って結局何がしたいのだろうと
もう一度 考えてみた。

そんな時に思い出したのがマザーテレサだった。

小学生の頃からマザーテレサが好きで
でも、伝記などマザーテレサに関する本を読んだことがなかった。
読んでみようと早速 Amazonでダウンロード。

マザーテレサのエピソードが書いてある

 ふむふむ。
マザーテレサは弱者や貧困の人達を助けているが 
それは貧乏だから助けてるわけでも 正義感からでもないのだ。
 全ての人達に奉仕することがイエス キリストに尽くすこととつながる。
そして、キリストに奉仕することが喜びなのだ。
喜んで仕事をやっている。 
だから、無理がないし見返りを求めていないのだ。

なるほど。
私の仕事の取り組みと少しつながる時ことがある。
私も好きだからこの仕事をやってるのだ。
どんなお客様達にも 敬意をもって尊重して
施術させていただいてる。
それが、自分の喜びでもある。
だから、この仕事がむいているといつも感じているのだ。

さて、肩書きってどうしよう。

マザーテレサのご遺体の安置してある場所には
「神の愛の宣教者」と記してあるらしい。

結局、マザーは自分ではそう言ったわけではないだろう。周りの皆んなが そう思ってる。

そう思うと肩書きは自分の中から出てくる物ではなくて他の人からどう、思われてるかが大切だと言うことだ。
もし、自分で決めるとしたら 
他の人にどんな風に思われたいか 
どんな風に見られたいか
ということが大切になってくるだろう。

でも、私は他の人が私をどんな風に思うか。
思われたいかをあまり、気にしたことがない。

やりたいことを喜びとしてやっていけば
肩書きはいらないのかもな。と思ってしまった。

この先、根本さんて〇〇な方ですよね。
と言ってもらえて
それがしっくりきたら 
そのお言葉を肩書きにしていきたいと思う。

それまで、日々精進するばかりだ。

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