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植物のしたたかさ

◎つわぶき

3月中旬、祝島からつわぶきが送られてきた。
つわぶきは山菜の一種で、海辺に生えているらしい。
ダンボールを開けた瞬間、野生感というか地球感というか、都会の道端ではお目にかかれなさそうな空気を纏うつわぶきを見て、東京のアパートで「うわぁ」と呟いたのを覚えている。
大地から切り離されてもまだ溢れる力強さに、なんだか少しひるんだけれど、なんだか少し心が踊った瞬間だった。

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(ダンボールいっぱいに届いたつわぶき)

つわぶきは、食べるまでの下処理がとっても大変だった。
調理をする前に皮を剥くのだけれど、その皮むきには結構な時間がかかった。
しかも、つわぶきのアクは強烈だった。
指先が真っ黒になったし、洗っても全然取れないし、ほんのりアクの香りがするし、なんとなくねちゃねちゃする感じもあった。
そんか強烈なアクを体感してしまったから、「このアクも、つわぶき達自身が食べられないための、つわぶき達自身が自分の身を守るための、つわぶきなりの知恵なのかもなぁ」と思わずにはいられなかった。
その生命力にただただ感動したし、ただただ敵わないなと思った。
同時に、皮をむいて、水にさらして、茹でると、美味しく食べることができると気づいた昔の人たちの賢さと逞しさを、心から尊敬した。
最初に「食べてみよう!」と言ったのは誰なんだろう、昔の人も「つわぶき達、わたし達の指を黒くしてくる!しぶといなぁ!」と驚いたりしたのかなぁ、なんて、普段の都会暮らしでは思い馳せることのない名もなき大先輩たちのことを考えながら、ひたすら皮を剥く時間はなんとなく不思議で、だけど確かにあたたかい時間だった。

◎からし菜、ほうれん草

先日はりなちゃんのお手伝いをさせてもらって、生まれて初めて、からし菜の収穫と種の採取、ほうれん草の種の採取をした。
「からし菜」はわたしには聞き慣れない言葉だったのだけれど、その種はマスタードと元なのだと知った。
マスタードはKALDIで買うものだと思っていたから、からし菜の種をまき、育てて、刈って、種を取って、調理をして、やっとマスタードとしていただける、という流れを聞いたとき驚いた。
すごく当たり前のことなのに、わたしは、この流れのカケラも知らないことが当たり前となっている暮らしをしてきているんだよなぁ、と思った。

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(からし菜とりなちゃん)

からし菜は、小さなふさの中にさらに小さな種が整列している。
だけどそのふさはちょっとの衝撃ですぐにはじけてしまう。
だからからし菜を刈る時も、刈って乾燥小屋に運ぶ時も、気をつけなくてはいけない。
りなちゃんが心を込めて育てたからし菜の種を、収穫の段階で取りこぼしてしまってはだめだ!と思って、1粒でも取りこぼしが少なくなるよう心がけた。
でも、どれだけ心がけたとしても、からし菜はちょっとの衝撃で弾けてしまって、種が飛び出すのを防ぐことはできなかった。
取りこぼしてしまった種を見ながら、からし菜達はこうやって、大地に降りて、芽を出し、根を張り、生命を繋げてきたのだろうなぁ、そしてこれからもそうなのだろうなぁと思った。

ほうれん草はわたしの好きなお野菜のひとつだけれど、ほうれん草の種を見たのも、種の採取をしたのも初めてだった。
とげとげのほうれん草の種を初めて見た時、いつも食べてるほうれん草からは想像できない姿に驚いた。
それに、その刺は飾りなんかじゃなくて、刺さると本気で痛かった。
枯れた茎から種を取りながら、刺があるから、動物達に食べられることはないのかなぁ、なんて思って、植物の賢さにやっぱり笑って、やっぱり深く感動した。

◎賢くて強い

植物たちの特徴をひとつひとつ知っていくことは、とても面白い。
アクで指を真っ黒にしてきたり、ふさがすぐ弾けて種が飛び出してしまったり、トゲが痛かったり。
人間からすると「めんどくさいなぁ、もう」と思うことにも、きっと理由があって、それが植物たちの知恵のように思う。
それらを知るたびに、植物の賢さと強さに「いやぁ、まいりました!」という気持ちになるのは愉快で痛快だなぁ、と思う。

けれど同時に「それでも私たちもいただきたいんです、いただきますよ」と思い、指が真っ黒になることなんてなんてことない!と、1つでも多くの種をいただくぞ!と、ちょっとトゲが刺さるぐらいへっちゃらだ!と、植物と向き合う。 
こういうひとつひとつが、すごく面白いしすごく豊かと思う。
まだまだ知らないことだらけの植物の世界。
これから、色んな植物の色んな特徴や個性をひとつずつ知っていきたいし、それに驚いて感動したいし、楽しんでいきたいなぁ。

写真:2020年6月21日 @川崎町
とげとげのほうれん草の種。

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