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ゆでたまごのような何か

向田邦子さんという方の「ゆでたまご」というエッセイがとてもとても好きで。

簡単な内容としては

向田さんが小学4年生だった頃、クラスに片足と片目の不自由なIという子がいた。担任の先生もクラスメイトもIのことをつい疎んじていた。
秋の遠足の日のこと。出発前にIのお母さんが「これみんなで」とねずみ色の汚れた風呂敷と古新聞に包んだ大量のゆでたまごを向田さんに押しつけ、向田さんは思わず怯んだが断れずに受け取った。Iの母親は必死に歩いていくIの背中を他の保護者からは一人離れた場所で見送っていた。
続いて運動会での徒競走のときのこと。片足を引きずりながら一人取り残されてるIが走るのを諦めようとした時、叱言が多く学校で一番人気のなかった女の先生がIの元へと飛び出し、ゆっくりと一緒に走ってゴールした後、抱きかかえるように付き添った。
向田さんは愛という字を見るといつもこの光景を思い出す。向田さんにとって愛とはぬくもりであり、小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動であるのだと。

こんなお話。

このエッセイ、ふとしたときに読み返すのだけど自分の中にもこのゆでたまごのような記憶があって。今でもぼんやり思い浮かぶ一つの情景がある。

それはもう遥か昔、3歳か4歳の頃の話。

当時父親は大型トラックの運ちゃんをやってて、家に帰ってこれない日もしばしばあった。
全国津々浦々走っていたからなのだろうけど、具体的なことは昔も今もよく知らないし聞いたこともない。
今思えば過酷な日々であったことくらい容易に想像もつくけど、子どもだった自分はお母さんから聞かされる「明日もお父さん帰ってこれないって」に対してもそうなんだ、程度の薄い反応だった。

そんな父親が昔家族で住んでた団地近くを仕事で通りかかる日があると、お母さん兄自分の3人で高速道路に架かる陸橋の上まで行って、通過する父親の乗ったトラックに向かってよく手を振りに行ってたことがある。

おそらく父親がお母さんに明日の何時頃に近く通るよ、なんてことを伝えていたのだろう。
その時間になるとお母さんに連れられ、当時は特に深いことも考えずに、お父さんだ!とだけを思って手を一心に振った。お母さんの「今日お父さんあそこ通るよ」がある度に家を飛び出し、あの一瞬のためだけにいつもの陸橋の上へと向かった。

思い返してみると雨が降っていた日もあった。3人で傘を差してただ手を振りに行った。父親が一瞬で真下を通過して行くと、特に寄り道もせずに団地の4階へと真っ直ぐ帰った。

そんな我が家だけの行事も兄が少年野球の練習が忙しくなってお母さんと自分だけの2人になり、自分も小学校に進学して休みの日に友達と遊ぶような年齢へと差し掛かるにつれて、いつの間にか徐々に自然消滅していった。

トラックで通過するその一瞬、父親は軽く視線を上げて手を振り返す。はっきり覚えている訳ではないけど、ほんの少しだけ微笑んでた気もした。
父親はそのとき微笑みながら何を思ってたんだろう。自分たちが手を振りに行くことによって少しでも力になっていたんだろうか。自分たち兄弟を連れて陸橋へと向かうお母さんはいつもどんな気持ちだったんだろう。

向田さんの定義する、連想する愛とはまた違った形かもしれない。
ただ自分自身ゆでたまごを読んでこの記憶が浮かんでくるということは、自分にとっての愛のヒントや在り方はここに秘められてるんだと思う。

とは言っても愛についてなんてクサいことはこれまでに考えたこともないし、そんなタチじゃないもんでこれからも考えることはないだろうけど。死ぬまで不確かなままでいい。

みんなは「愛」という字を見るとどんな記憶が思い浮かびますか?

ちなみにこの写真は昔住んでた団地の近くの、よく兄と一緒に壁当てをしに行ってた場所。
大袈裟でなく、365日中340日くらい2人で壁当てしに行ってた。雨が降っても雪が降っても。
そのおかげか、あれから何十年経った今でもボールの跡は消えないまま。白くなってる部分は全部そう。

ちょっとした余談。

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