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「目標に向かって頑張る」の罠

目標達成のために頑張ることは、必ずしもいいことじゃないと気がついた話。


これまでの人生、常に何かの目標を設定するように求められてきたように思います。

中学生くらいまでは「将来の夢」や「なりたい職業」
高校生になると「志望校」
就活が始まると「志望企業」
社会人になると「キャリアプラン」

それ以外にも、気がつけば大なり小なり何かの目標を設定して達成する競争にずっとさらされてきました。

しかし、結婚・離婚を経て色んな感情の波の中で、
「目の前や少し先の目標を夢中になって達成する」生き方に違和感を感じるようになりました。


この私の違和感を言語化してくれたのが、「ジェーン・スー 生活は踊る」のお悩み解消コーナー「相談は踊る」のこちらのエピソード。

目標って最初に欲望がないと出てこないんですよ。欲望が最初。欲望があってそこに向かってじゃあ達成するにはどうするかっていう目標があるわけじゃないですか。目的がないと目標なんて立てる意味ないんですよ。
目標をつくってそれに向けて頑張っているっていうことやっていること自体をよしとしてしまうと、大事なものから目をそらして自分自身を見つめなきゃいけない時とか考えなきゃいけないことがある時に、自分がそれと向き合うと自分の心がひしゃげちゃうとか、そんなことしたら(中略)自分がなりたい自分とか好きな自分とは大違いだから気持ちが凹んじゃうみたいなことと向き合いたくないから目標に向かってやってますっていうので、大事なことに向き合わないまま大人になっちゃう人、一杯いますから。
自分が実はすごいこずるいとか、大事なところをすっ飛ばすとか、あと人のことを下に見てるとか、(中略)大事な人を大事にできないとか、そういう決定的に自分でヤバいなって思う致命傷ってあるじゃないですか?人に言えないところとか。
それっていうのを30代とかで少しずつ向き合っていかないと、40超えた時に辻褄が合わなくなってくるんですよね。

目標っていうのを立ててそれをクリアしていくっていうのをゲーム感覚でやるのはすごく楽しいし、やってる感もできるんですけど、それによって見つめなきゃいけない、向き合わないといけないものから自分自身の目をそらすってことも簡単にできるので。

なりたい自分や心からの欲望があって、その実現のために目標を決めて努力するのは、素晴らしいことです。

しかし、正直なところ、私はそうではなかったように思います。

今までの自分を突き動かしていたものは、

同調圧力
競争意識
周囲との比較からくる焦り

でした。

目標に向かって走っていれば、周囲の流れに取り残されることもないし、焦りを感じる必要もない。

目標に向かう「やってる感」で、自分の人生は間違っていない、自分は置いていかれてない、と安心することができる。

今振り返ると、心の奥底にはそんな気持ちがあったように思います。


もちろんどんなモチベーションであれ、目標達成のために頑張った過去は今の自分や今の生活を形づくっているし、「よく頑張ったね」とこれまでの自分にいってあげたい。

ただ、これからは血反吐吐きながらでも、自分のずるいところや人には言えないこととも向き合いたい、逃げたくない。そんな決意をここに記します。

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