「さようならドラえもん」に繋がる幻の“最終回” 二本立て/考察ドラえもん③

「ドラえもん未来へ帰る」「小学四年生」1971年3月号
「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」「小学四年生」1972年3月号
/藤子・F・不二雄大全集1巻

ドラえもんの最も有名なエピソードの一つが「さようならドラえもん」であろう。「STAND BY ME ドラえもん」でもメインテーマとなっており、ドラ泣きの代名詞としての作品となっている。この作品については、あまりに多くの人が語っているので、本稿では触れない。ここでは、「さよドラ」に連なる2本の幻の最終回について書いてみたいと思う。

ドラえもん連載の主軸は小学館の学年誌であるが、F先生は「小学一年生」の読者が翌年に「小学二年生」を読むということを前提に作品を書いていた。例えば、「さようならドラえもん」は小学三年生3月号に掲載され、「帰ってきたドラえもん」は学年が上がった翌号の小学四年生4月号に掲載されている。これは3年生の読者がそのまま4年生になったことを想定して書かれた二部作と言える。なので、「さようならドラえもん」は最終回とは違い、あくまで帰ってくることを前提とした前後編の前編という位置づけが正しい。

今回取り上げる2作品は、「後編」にあたる帰ってくるエピソードを想定していない。その意味で真の最終回エピソードと言っていいだろう。残念ながら二作ともてんとう虫コミックには掲載されていないため、幻の作品なのだが、大全集の刊行によってその存在が再びフォーカスされた。

では「ドラえもん未来へ帰る」から見ていく。

まず先に書いてしまうと、本作はドラえもんの1,000本以上のエピソードにおいて、かなり異色度の高い作品だ。是非どこかで一読して欲しい。この作品は「小学四年生」3月号に掲載されたが、その翌期の「小学五年生」ではドラえもんは連載されていなかった。つまり、この学年にとっての最終回なのである。

まず、扉絵にあたる部分では、のび太が机の引き出しに入ろうとしているドラとセワシ君にテープを投げて泣いている絵が描かれている。これは「さよドラ」の扉絵と同じ構図である。

お話は、寝ているのび太の部屋で大勢の人間のシルエットがザワザワしているシーンから始まる。壁から出てきて壁へと入っていくそのシルエット群は何とも異様な気配だ。翌朝、野比家には異常が次々発覚する。落書きが書かれ、パパのライターが盗まれ、ドラえもんのどら焼きが盗まれる。家族大騒ぎの中、ドラは何か言いたげ。

ドラえもんは突然のび太に、「もしも僕がいなくなっても、君一人でやっていけるかい?」と不穏当な質問をしてくる。のび太は「そんなことは考えられない、君がいなくちゃダメなんだ」と能天気だが、「情けないこと言うなよ」とドラえもんはひどく落ち込む。

そこに、大勢の人々が壁をすり抜けて姿を現す。彼らは「タイムマシン」で過去の世界を見に来た観光客であった。「タイムパトロール」に訴えるぞ、とドラは訴えるが、観光客たちはやりたい放題。野比家を古代人と称して物色し、ついには指名手配犯の殺し屋がピストルを持って亡命してくる始末。タイムパトロールが現れてようやく平穏を取り戻す。このあたりの描写は「21エモン」に近い感触、といえばわかりやすいだろうか。(そうでもないか)

そこにセワシ君が登場。彼が言うには、身勝手な時間旅行者を取り締まる時間旅行規制法が可決したという。この法律によって、ドラえもんも違法な存在となってしまう。ドラえもんは、法律上の問題から未来に帰らなくてはならなくなってしまったのである。

本作はドラえもんが帰らなくてはならない理由付けのために、未来からの観光客が現代人に迷惑をかけるという異色の設定を導入しているわけだ。

ドラえもんが帰るとなって、のび太は嫌だと言うが、ドラえもんとセワシはのび太を励まして事を収めようとする。ところが、いざ引き上げるとなると、今度はドラえもんが号泣し、「のび太くんと別れるのは嫌だあ」と騒ぎ立てるのであった。ドラとのび太の友情が確固としたものであることが明かされ、ここで読者ももらい泣き必至だ。

ラスト一コマは、のび太の「机の引き出しは元の引き出しに戻りました。でも開けるたびにドラえもんを思い出すのです」というしみじみとした心のつぶやきで幕を閉じる。このラストの余韻は「さようならドラえもん」とほぼ一緒であり、大長編の「のび太の宇宙開拓史」のラストなどに通じる抒情的なシーンである。

続けて「ドラえもんがいなくなっちゃう?」。

こちらも小学四年生の3月号掲載作品で、翌五年生にはドラえもんの連載は無かったので、実質上の最終回エピソードである。

本作では、のび太が自転車に乗れないのにサイクリングの約束をしてしまい、練習しないで乗れるようにならないか、という甘えた相談から始まる。別れることが決まっている(らしい)ドラえもんは、自分に頼りっきりののび太に対し、あきれ顔。のび太は、そんなイライラしているドラえもんに対してどら焼きを買ってきて懐柔しようとする。

未来の国に帰ると言い出せないドラえもんは、セワシの入れ知恵で空気が悪いので壊れそうだと嘘をついて故障のふりをする。そんな姿を見たのび太は「壊れちゃ嫌だ。未来に連れて行って直してやって」と泣き出す。今度はその優しいのび太にドラえもんは感激して泣き出し、壊れそうと言うのは嘘だと白状してしまう。

ひと悶着を経て結局ドラは帰ることになるのだが、その理由はこのままではのび太がダメになってしまうからだということになっている。「ドラえもん未来に帰る」で帰る理由を描くのにページを割いてしまった反省からか、本作ではその理由をぼやかして、二人の友情に重きを置いているのが見て取れる。

のび太は「やってみるよ、僕一人で、自信はないけど頑張るよ」と涙でドラえもんを送り出す。

ラスト1頁。のび太は何度も転びながらも自転車に乗る練習をする。「ドラえもんと約束したんだ」と言いながら。そんなのび太の頑張る姿を未来の世界から「タイムテレビ」で応援するドラえもんの姿で本作は終わる。

ドラに頼らずのび太が頑張るというのは、「さようならドラえもん」に繋がる重要なモチーフである。

「さようならドラえもん」は、今回取り上げた2作の要素を見事に織り交ぜ、さらに感動的な物語に昇華している。また、「さよドラ」ではドラえもんが未来の世界に帰らなくてはならない理由が一番ぼんやりとしているのが特徴的だ。この2本を描く中で、帰る理由は明らかにしないことがベストだとF先生の中で固まっていいたものと想像される。

ところで、この最終回を読み終えて進級した小学五年生は、ドラの連載を読めなくなったわけだが、その翌年に進級した「小学六年生」で新たにドラえもんの連載が始まることになった。つまり、4年生3月号で一度帰ってしまったドラが、6年生4月号でもう一度やってくることになるわけだが、その繋ぎのエピソードが存在する。

「小学五年生」3月号の次号予告がそれ。ドラえもんが引き出しから現れ、「六年生になるんだろ、君にとって大事な時だ。気になってね」とのび太と再会を果たすのである。いわばもう一つの「帰ってきたドラえもん」なのだが、これも大全集1巻に掲載されているので是非読んでみてほしい。

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