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「ぼく」がモテる理由

GW休暇中ということで他愛のない話題を書き綴ります。

いま村上春樹の新作「街と不確かな壁」を読んでいるんですが、久方ぶりに面白いなあと感心して、ページをめくっております。

普通旅先には文庫本を持っていくのですが、今回は携帯に不向きなハードカバーになってしまいました。

本当はとっくに読んでしまうはずだったんですが、体調がここ数日悪かったので、読むのを中断してしまっていたんです。なのでやむなく。。


昨晩チラチラと「街と不確かな壁」の書評をネットで読んでたんですが、そこになるほどという考察がありました。

それはなぜ村上春樹の小説の主人公はモテるのかということ。別に外見も平凡だし行動力がある訳でもない。けれど不思議なくらいに女の子が近づいてくる。一体どういうことなのか?



村上春樹の小説を嫌いだとという人も大勢いるんですが、その理由として、なぜ主人公がモテるのか訳分からないということがあるようです。

僕自身も引っ掛からない訳ではありません。もし少女漫画であれば、まるでリアリティがないほどに主人公の男の子はモテます。ご都合主義にも読めるし、何か別の世界の話のように思えます。


その書評曰く、主人公がもてるのは読書をしているからではないか、ということでした。

これはシンプルかつ、かなりの説得力のある考察で、なるほどと強く頷いた次第。

主人公はとにかくマイペース。生活のリズムも一定だし、限られた人以外と積極的な交流はほとんどしません。隙間の時間は本ばかり読んでいます。

しかもたいていの場合、チャンドラーだのポール・オースターだの、フィッツジェラルドなどを読んでいて、明らかにレベルの高い読書家だということがわかります。

周囲のインテリな女の子からすれば、そんな男子は気になって仕方がないと、そういうことで近づいてくるのでは、と推察されておりました。


読書家はモテる。これは村上春樹の愛読者なら、実は直感的に考えることです。だから、無意識的なのか意識的なのかはわかりませんが、村上春樹本を読むと、無性に読書がしたくなります。

けれど、たいていの場合はベストセラー本を数冊読んで満足してしまい、海外文学などに踏み込むずっと手前で、読書ブームは終焉を迎えることとなるのです。


また、その書評で面白かったのは、読書家がモテる時代は終わったのではないか、という指摘でした。

スマホの普及で、電車などの空き時間で文庫本を開くような人は減ってしまい、読書自体がマイナーなオタク的な行為に含まれてしまったのではないかという考察です。

確かに僕自身、スマホの登場で空き時間に将棋を指すようになってしまい、格段に読書の時間は減りました。

読書、特に小説については、目が滑るようになってしまっています。これは20代の頃から考えると信じられないことです。


だとすれば、読書家がモテなくなった時に、村上春樹の小説はどのような意味合いになっていくのか。

ますます主人公のモテる理由が分からないとか言われて、村上春樹の小説が遠ざけられてしまうことにならなければいいなと思います。

そして、僕はと言えば、今回の新作をきっかけに、本格的な読書の習慣を復活させたいと思うのでした。

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